翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

艱難汝を…

先週の朝日新聞土曜版にポケモンGoのディレクター、野村達夫さんが登場していました。

日本語学校で教える際、ポケモンGoにはさんざんお世話になりました。
趣味や好きなことを話題にするとき、教科書通りに読書や映画を例に出すのではなく、ポケモンGoを取り上げると、学生の目の輝きが違ってきます。子供時代にポケモンにはまったのがきっかけで日本に興味を持ったという学生が多いのです。

30歳の野村達夫さんも幼い頃、ポケモンに夢中だったそうです。でも、野村さんの生い立ちは私が想像していたものとはまったく違っていました。

いまは日本国籍だが、中国・黒竜江省の寒村に生まれた。父方の祖母は日本人で、戦時中に旧満州に渡ったが戦後取り残され、中国人の祖父と結婚。母方は中国人だ。物心ついたときには、母について早朝から豆腐を売り歩いた。村に娯楽はなく、4人の姉と野山に遊び、冬は板からそりを作った、9歳のとき、一家は豊かな生活を求めて日本に渡った。

長野市に移住した野村さん一家は、ほとんど日本語が話せなかったそうです。

家計を助けるために小学6年から新聞配達を始めた野村さん。同級生がまだ寝ている早朝に起き、自転車で約200軒に新聞を届けました。当時を振り返って野村さんはこう語っています。

つらいと思ったことはなかった。普通の家の生活レベルよりずっと下から出発して、がんばればどんどん生活が良くなることを実感できたから。

その後の野村さんの経歴には目を見張るものがあります。
アルバイト代をためてパソコンやゲームを買い、独学でプログラミングを学び、信州大が工学部に進学。東工大大学院では、スーパーコンピューターを研究、多くの外国人留学生と知り合い英語も身に付け、グーグル入社。グーグルマップの開発に携わり、ナイアンティックに移籍。

祖母の国とは言え、言葉がまったくわからない日本に来て、自分の能力が最も発揮できるジャンルを選び、世界へはばたく。誰にでもできるわけではありませんが、才能と幸運がうまくかさなれば、こんな道もあるのでしょう。

そして、子供時代の苦労によって性格がゆがむ人もいれば、野村さんのように深みのある人格となる人もいます。技術力やアイデアだけでは、プロジェクトは完成されません。人を動かす力があるからこそ、野村さんはポケモンGoの司令塔に任命されたのです。

ポケモンGo開発にこんな秘話があったとは。来日して日本語を学ぶ学生たちと日々接している私にはことさら心に響く話でした。