土星期が山羊座だから、外国人とちゃらちゃら遊ぶだけでなく、日本語を教えるという大義名分を求めたというのが前回の話。
なんとかもぐりこんだ日本語学校では、ライターが本業というわけで作文のクラスを担当することに。3ヶ月目にしてディレクターが交代し、新任のディレクターに作文クラスの方針を説明したことがあります。
「作文は選択クラスですから、学生のレベルはばらばらです。ひらがながやっと書けるようになったという学生の隣で、日本人顔負けの文章を書く学生もいます。だから、それぞれのレベルで表現したいことを日本語にする手伝いをしています。私自身がライターとして、自分の書きたい文章を書きたいと願ってきました。だから学生に対しても、型にはまったことだけを教え込みたくないのです」
ディレクターの反応。
「その方針で進めてください。文法は間違いを排除して凝縮していくクラスですが、作文は表現を拡大していくクラスです」
なるほど。文法が土星なら、作文は木星。細かいことには目をつぶり、日本語を書く楽しさを味わってもらいたい。
そう考えて、教材はすべて自分で作ることにしました。
市販の作文の教科書はあたりさわりのない内容であまりおもしろくないからです。といっても、長年のライターの習性で表現に凝ってしまい、学生から「これはどういう意味ですか」と聞かれて冷や汗が出ることもありました。
学生が入れ替われば前の教材が使いまわせるかというと、そうもいきません。あちこち直したいところが出てくるし、学生が替わればクラスの雰囲気も変化し、ウケるテーマも違うのです。延々と連続して受講する学生いて、授業のたびに知恵を絞っています。