翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

易(えき)で得られた卦を生き方の指針にする

立冬を過ぎると、冬至まで1か月半。

 

易者にとって一年の始まりは冬至です。

今年の冬至は12月22日。

東洋占術の基本である陰陽五行は季節の流れを陰と陽で示します。最も日が短くなる冬至は、陰のエネルギーが最大になる日。冬至を過ぎると陽が少しずつ伸びてきますから、冬至は「一陽来復(いちようらいふく)」の特別なタイミングです。

 

易は陰陽六爻(こう)の組み合わせですから、この日に一年間の流れを占う「年筮(ねんぜい)」を立てます。

 

一年の流れを占うとはいえ、易を単なる占いと言っていいものか。

易経四書五経の一つですし、「恋人ができますか」「お金が儲かりますか」「なくした物が見つかりますか」といった下世話な占いだけを易とするのは、ちょっと気が引けます。

 

中国でもこの論争は続いてきて、「占いはいやしい」と考える学者もいたそうです。

「人間は良心の命ずるままに行動すべきであって、結果の損得で行動を変えるのは倫理的に不純である」というのがその理由だと、この本で解説しています。

  

易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

易―中国古典選〈10〉 (朝日選書)

 

 

朱子は「私利私欲のために占ってはいけない」と説いていますが、なかなかそういうわけにもいきません。占いに頼るのは、少しでも幸せになりたい、有利な選択をしたいという願いがあるからです。

 

易を西洋に紹介したリチャード・ウィルヘルムは「占いの結果に対して『それなら私は何をすべきか』と問い返したとき、占いの書物は智慧の書物となる」と書いています。

 

吉凶を知ってそれで終わりにするのではなく、易から得られたメッセージを自分の生き方にどう活かすかで、易は占いから倫理学に近づきます。

 

そして、易経の卦辞、爻辞を見てそのまま告げるだけなら、単なるおみくじで占い師は必要ありません。

占的と合わせて陰陽がどちらに変化するかを考え、天からのメッセージを読み取るのが易のおもしろさであり、易の神様はなかなか心が広く、占う者の器に合わせてメッセージを送ってくださるような気がします。

 

易はどこまで学んだら終わりということはなく、一生を通じて学び続けるものです。

自分なんてとても人に教えられるレベルに到達していないと思っていたものの、天海玉紀先生のご尽力により、ウラナイトナカイで冬至の日に年筮講座を開催しています。今年で3年目となりました。

私が教えるというよりも、参加者の方々と一緒に得られた卦について考えを巡らせる場です。私も、この講座中に見本として自分の年筮を立てます。

 

去年の冬至に出たのは、沢雷随(たくらいずい)の三爻でした。

上卦の沢をもって「喜び、楽しみ」、下卦の雷をもって「動き」と読み、私の心の中で大きな比重を占めていた日本語教師の仕事は「学生が喜び、楽しめるような授業のために動く」をテーマにしてこの一年やってきました。

卦全体の意味が「従う」ですから、学校(上司)の方針に従い、教員室ではひたすら従順さを心がけてきました。

また、プライベートで今年大いにハマったのがJALの「どこかにマイル」。行先はJAL任せで、決められた目的地を受け入れ、いかに楽しむかに徹する旅はいかにも「沢雷随」でした。

総じて、この一年は自分から何かを決めずに、状況に従い動くことで、なんとか回ったような気がします。家族がかなり深刻な病気になりましたが、なったものはしかたがないから、自分ができる範囲のことを淡々とこなしていくしかないと割り切りました。

  

今年も冬至の日に、「天から与えられた課題は何か」、「どうクリアしていくのか」を読み解けますように。

  

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 足利学校に掲げられていた「杏壇(きょうだん)」。孔子が学を説いた壇のまわりに杏(あんず)の木があったことから、学問を教える場所を指します。そして、足利学校で教えられていたのが易経です。