「仕事がうまくいかない、やめたい。猫になってごろごろしたい」「いや、仕事をしないでごろごろしていると、そのうち世間からの承認を求めて厄介なことになる」という思いを行ったり来たりしている私。
一緒に易を学んでいる夏瀬杏子さんは、お母様が私と同じタイプ。杏子さんはお母様を「自分の中で満足を作れない」と表現します。
「誰もいない森の中で木が倒れたら音がするか(If a tree falls in a forest and no one is around to hear it, does it make a sound?)」という哲学の問いがあります。観測者がいなくても事象があったのかを問う一種の思考実験です。
「自分の中で作る満足」は、私にとって誰もいない森の中で倒れた木の音。聞く人がいないのなら、音はしないのと同じじゃないかと考えてしまいます。満足したなら、満足している私を人に見てもらいたい。なんという欲深さ。
そんな私が自分の中で満足を作れるのは、お酒とズンバ。
アルコールを飲むと、いろいろなことがどうでもよくなって幸せな気持ちになれます。
那覇の福州園の滝と李白の像。李白の詩「将進酒」が紹介されていました。こんな内容です。
水が天井から流れ落ち、海に入たり水が元に戻ることがないように時の流れも戻れない。ならば酒を飲み、歌を詠み、人生を謳歌しよう。世に名を遺した聖人賢者は皆酒飲みだったから。
いやほんと、ほどほどに飲むことができたら、こんな素晴らしいものはないんですけど。
そして、いつまで続けられるのかとおびえつつ週5回続けているスタジオレッスンのズンバ。
ズンバは上達を目指すのではなく、いかに自分が楽しむかというお祭り騒ぎ。落ち込むことがあっても、考え事をしながら踊ることはできませんから格好のストレス解消になります。
お酒とズンバで他者を必要としない満足を得ているものの、お酒ばかり飲んでいてはアルコール依存症まっしぐらです。
ズンバも足腰への負担がありますから、いつまでも続けられるわけではありません。
老後のためにお金も必要ですが、それ以上に、自分の中で満足を作れるようにならないと。
温泉旅行にはしょっちゅう行けなくても、近所の銭湯のサウナと水風呂に通ったり、オーソドックスですが、読書と映画。不平不満を抱えた老女にならないように、何かおもしろいことはないかと探す毎日です。