老後の海外滞在を目論んで、日本語教師の資格を取りました。語学も学校も大嫌いだったはずなのに。
「資格さえ取っておけば」と思っていたのに、現場で経験を積まなければ資格は何の役にも立たないことを知り、意を決して日本語学校の非常勤講師に。
長めの旅行のために休もうと思えば代講を頼んで休むこともできるのですが、担当コマ数を増やすのをを断り続けているので、なかなか言い出しにくい。気がつけば2泊程度の国内旅行ばかり出かけるようになりました。
教室では外国人に囲まれ日本人が私一人という状況ですから、わざわざ海外に行こうという気もなくなりつつあります。海外旅行もおっくうなのですから、海外滞在なんてとんでもない…。
人生のビジョンとか、計画とか、あってもなくてもどっちでも同じということでしょうか。
宗教人類学者の上島啓司氏の『生きるチカラ』(集英社新書)を読んでいると、「人生なんでもあり」というおおらかな気持ちになります。
こんな話が紹介されています。
広告代理店のアートディレクターになりたいと願う女性。すぐに仕事が見つからないので、エアロビクススタジオでアルバイトをすることに。そこで偶然、靴メーカーの社員と知り合い、靴のデザインのプロジェクトにフリーランスで参加。手腕が認められ、正社員になるように誘われたけれど、断ってしまいます。
その後も、おもしろそうな仕事に就くチャンスがあったのに、広告代理店のアートディレクター以外の道を選ぶことができず、年月だけを重ね、今はキャリアの行き詰まりを感じています。
上島氏からのアドバイス。
たしかに自分の望む進路は大切で、あくまでもそれにこだわる気持ちも理解できないわけではない。しかし、それは自分に訪れるあらゆるチャンスを妨げてしまうことでもあるということを、よく頭に入れなければならない。
いったん決めたら、多少のことがあっても投げ出さないことが美徳とされていますが、そんなに一途にならなくてもいいのでは。
「東京オリンピックまでは、日本語教師を続ける」「将来は沖縄で暮らす」と目標を立てているものの、達成できてもできなくても、どっちでもいい。夏は北海道で暮らしているかもしれないし、日本を巡る状況が変われば、日本語学校もどうなるかわかりません。6年前、東日本大震災が起きた年は、留学生たちが一気に帰国して休校状態に追い込まれた日本語学校もあったそうです。
再び上島氏からのアドバイス。
自分を取り巻く状況はどんどん変化しつづけていく。それに従ってわれわれも変わっていく。それゆえ、自分が決めたことなどちっぽけなもので、そんなものはいつでも捨ててやるくらいの気持ちでいなければならない。
このあたり、日本語学校の学生たちから教師の私が学んでいます。
オタク趣味が高じてあこがれの日本にやってきた彼ら。日本語学校に通ってはいるものの、それを将来のキャリアに活かそうと考えている学生はどのくらいいるのやら。作文のテーマの一つに「将来の夢」があるのですが、「そんなの時期が来てみないとわかんないよ」と反応する学生が一定数います。
「ギャップイヤー」で日本に留学している学生たちの多くは、見聞を広めるために日本に来て、とりあえず日本語を学んでいるけれど、将来に活かそうとまでは考えていないようです。日本語学校なんか通わずに秋葉原に入り浸っていたかったけれど、親を納得させるために、とりあえず短期留学という形を取っているのかもしれません。
まあ、それでいいんじゃない、じゃあ、大好きなアニメの話でも日本語で書いてみる?とテーマを変えます。
国に帰って日本語の動詞の活用を忘れてしまっても、自分の大好きなことを大好きな国の言葉で書いたという記憶が残ればいいのですけど。そして願わくば「大好きなことをした」という記憶が、次の選択の幅を広げてほしいものです。