性分でんねん。

先週と今週、フジテレビでphaさんのドキュメンタリーを観ました。

「日本一有名なニート」だったphaさんですが、今や「元ニート」。執筆活動をしているし、行き場のない人のための場所まで作ってしまいました。

 

2012年、phaさんの最初の本がおもしろかったので、出版記念トークショーにも行きました。

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やらなくていいことまで引き受けて、勝手に忙しがっている私。

もう50代も半ばを過ぎたのだから、物だけでなく仕事も整理して、ゆったりと丁寧な暮らしをやってみるのもいいかも。そう願うのだけど、やっぱりできません。

だから「『働きたくない』と、もっと堂々と言っていい、『何もしない』は、贅沢なこと、『だるい』という感覚を大切にしたい」というphaさんにあこがれました。

 

私が無理やりphaさんみたいに生きたら、ストレスが溜まることでしょう。自分はもっと何かができるんじゃないかと悶々として苦しくなります。

それはもう、生まれつきです。持って生まれた性質です。関西弁で「性分でんねん」。

一種の貧乏性。あれこれ動いて、人から必要とされたい。じっとして、だれからも必要とされないのなら、生きていてもしかたがないと思いってしまいます。

結局、人は自分の器に合った生き方しかできません。自分の器がどんなのかわからなくて悩んでいる人が多いのでは。

 

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子供の頃の夢は「猫になりたい」でした。毎日学校に行くのがいやでいやでたまらなくて、家でごろごろしている猫が本当にうらやましかったのです。

四柱推命でみると、私の生まれ日はとてもエネルギーが強いのですが、年と月から受けるエネルギーは弱いのです。

あれもこれもやりたいと欲張りながら、少ししかできない。若い頃は本当に苦しかったのですが、50代も半ばになると、徐々にあきらめがつきました。

「猫みたいにごろごろしたい」と言いつつ、「人から必要とされたい」と矛盾した願いを持ち、わざわざ苦労する道を選んで「なんでこんなことをやっているんだろう」と悔やんでばかり。 

そのうち老いていけば、体力や気力がなくなり、もうがんばらなくていいと思えるようになるのでしょう。そんな日が来るのが怖いような待ち遠しような気がしています。