ディラン先生がノーベル文学賞候補というのは、ジョークのようなものだろうと思っていたのに、本当に取ってしまうとは。
授賞理由は「新しい詩的な表現の創造」とのことですが、ディラン先生自身、詩人と呼ばれることを嫌っているんですけどね。
You don't have to write anything down to be a poet. Some work in gas stations. Some shine shoes.
I don't call myself a poet, because I don't like the word. I'm a trapeze artist.
創作するのに詩人である必要はない。ガソリンスタンドで働いていたり、靴磨きの詩人だっている。自分は詩人じゃない。
trapazeは、空中ブランコ。trapaze artistで、軽業師、曲芸師といったところでしょうか。
日本では「フォークの神様」と神格化されていますが、実はツッコミどころ満載。
そもそも反戦ソングを歌うようになったのは、「あの手の作品を書けば多くの人が買ってくれることがわかっていた。だから書いた」。フォークというジャンルを選んだのは、ギターとハーモニカがあれば、バンドを組まなくても一人でデビューできるから。
デビュー直前には「ニューメキシコで生まれてカウボーイの歌をたくさん覚えた」(本当はミネソタ生まれ)、「13歳から19歳までカーニヴァルといっしょに旅をしていた」と、でまかせを連発。中山康樹氏の一連のディラン本を読むと脱力するようなエピソードの連続です。
2001年発売のアルバム『Love And Theft』。
北九州で英語を教えていたアメリカ人クリス・ジョンソンが、佐賀純一『浅草博徒一代』(英語版『Confessions Of A Yakuza』)から歌詞を借用していることを見つけたのです。
しかし作者の佐賀氏が「ディランに引用されたことは光栄」と対応したことで大事に発展しませんでした。
それにしても、アルバムのタイトルが「愛と盗み」って、ディラン先生は最初から開き直っていたのかも。
ノーベル賞なんて、ディラン先生は迷惑がっているんじゃないでしょうか。
ジョーン・バエズが「ボブ・ディランは口先だけ。実際の社会改革運動なんて絶対に参加しない」といったことを愚痴っていました。彼はただ、歌いたいように歌っているだけなのです。
それでも、御年75ですから、観念しておとなしく受賞するのもいいでしょう。
2010年2月には、ホワイトハウスの公民権運動の音楽記念祭で『時代は変わる』を歌っています。
その映像を見ると、「アメリカでの人権運動の先頭にずっと立ち続けたミュージシャン」と言われてもしっくりきます。さすが軽業師の面目躍如。
ボブ・ディランによって言葉の力を実感し、言葉を使う仕事をやるようになった私。
行き当たりばったりでも、やり続ければ、形になっていくもの。そのうち外国人学生に詩を書かせてみようという野望もふくらんでいます。
そして、ディラン先生には、朝から晩まで好きなことをやってほしい。成功者として生き抜いてほしいのです。
A man is a success if he gets up in the morning and gets to bed at night, and in between he does what he wants to do.
(朝起きてから夜寝るまで、やりたいことをやっている人間が成功者だ。)