翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

「出藍の誉れ」続出

日本語を学ぶ外国人学生が受験する日本語能力試験(JLPT)。
7月の試験の結果が出て、「合格した」という嬉しい知らせが世界各地から届いています。

「先生のおかげです」とうれしい言葉を添えられていましたが、N3(日常的な場面で使われる日本語をある程度理解できる)に合格できるレベルなら、その程度の社交辞令も使いこなせるのでしょう。

我が身をふりかえると、試験に合格して先生に感謝の気持ちなんて伝えてことはあったでしょうか。学校嫌いで生意気な学生だった私は、教師にとってちっともかわいくない学生でした。

ムーミンシリーズの作者、トーベ・ヤンソンも筋金入りの学校嫌いだったそうです。
特に嫌いなのが、数学と体育。「答えがわかっている問いに興味はもてないし、泳ぎは好きだけど勝負にこだわる競技は苦手」というのが理由です。
そうしたヤンソンの性格はムーミンパパにも投影され、ムーミンパパは寄宿舎のような「ムーミン捨て子ホーム」をさっさと逃げ出しました。そして、ムーミン谷には学校はありませんから、ムーミンたちは学校に行く必要はありません。

幼稚園で登園拒否児だった私は、小学校からあきらめて登校するようになりました。親から「幼稚園は休んでもいいけれど、小学校には行かなくてはいけない。法律で決められている。学校に行かないと、おまわりさんが来るよ」と脅され、しぶしぶ通いました。病弱なら正々堂々(?)と休めるのですが、根が丈夫なので病欠もできず、皆勤賞をもらうほどでしたが、毎日、学校なんて行かずに家で好きなことだけやっていたいと思っていたものです。

高校時代、大学受験の指導で、教師から教育学部を勧められました。
当時、文系の受験では、文学部より教育学部のほうが偏差値が低かったので国立大学に入りやすかったのです。

断固拒否。
教育学部に進んで教師になって、教師になりたくない生徒に教育学部進学を勧めるなんてまっぴらです」という、生意気極まりない啖呵を切ったものでした。

それから四半世紀以上の時が過ぎ、日本語教師になろうとは、当時の高校の先生には謝りたい気持ちでいっぱいです。
そして、立派過ぎる外国人学生たち。
出藍の誉れ」とは、教えを受けた生徒が教師よりも優れていることですが、教師のレベルが低ければ、出藍の誉れが続出です。


五色沼の青沼。