翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

「何も持たでぞあらまほしき」

遺産を巡って骨肉の争いというのはドラマの出来事だと思い込んでいたのに、親戚同士で起こってしまいました。
子供のいない伯母が相次いで亡くなり、公正証書やら弁護士まで登場し、事態は紛糾する一方。
私はさっさと争いの場から撤退し、「誰の味方もしない。永世中立」と宣言しました。しかし、宣言は逆効果で「自分の立場をわかってほしい」と話を聞かされることに。「どっちもどっち」というのが私の感想。物事は見る角度によって違って見えてくるものです。身内の悪口を双方から聞かされるのは、気の滅入ることです。

徒然草の第140段。
「身死して財残る事は、智者のせざる処なり」
(死後に財産を残すことは、賢い者のすることではない)

「『我こそ得め』など言ふ者どもありて、跡に争ひたる、様あし」
(私がもらうと言う者が死後に争うのは、見苦しい)

人間の本質は昔も今も変わっていないということでしょうか。伯母たちも中途半端な遺産を残さず、使い切って残高ゼロになっていれば、争いも起こらなかったのに。
ただ、自分がいつ死ぬかを知ることはできませんから、蓄えがなくなっては不安になります。財を残さずに死ぬのは至難の業です。

「朝夕なくて叶はざらん物こそあらめ、その外は、何も持たでぞあらまほしき」
(朝夕になくてはならない物以外は、何も持たずに生きるのが理想的)
まさにそうなんですが、これも簡単なことではありません。街を歩けば買いたくなるものがいっぱい目に入ってきます。家に引きこもっていても、ついネットショッピング。

身辺を整理し、遺された人の負担にならないような死に方をしたいものですが、そう願うこと自体が傲慢なのかも。

「死んだら、死んだのよ」
 トゥーティッキが、やさしくさとしました。
「このリスは、そのうち、土にかえるでしょ。やがて、その土から木がのびて、その木の上で新しいリスたちがはねまわるわ。それが、そんなに、悲しいことだって思う?」

兼好法師の言う「あらまほしき」生き方を目指しながらも、最後は『ムーミン谷の冬』のトゥーティッキのように割り切るしかありません。


昨年暮れに訪れた修善寺の竹林。