翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

ひび焼きの陶器、あるいは卵の上で暮らす

九州の地震から1週間が過ぎました。

最初の大きな地震が起きた夜、私は夜行バスで神戸の実家に向かっていました。
いつもは飛行機を利用するのですが、日本語学校の授業のため最終便に間に合わず、しかたなく深夜バスに乗ったのです。
できたばかりのバスタ新宿午後10時過ぎに出発。女性専用3列シートはなかなか快適で、朝の8時に三ノ宮着。時間が無駄にならなくて、けっこういいと思いました(こういうことを言うと「その年で!」「体力があるのね」とあきれられます)。

気持ちのいい4月の朝で、父はヘルパーさんと近所の公園を散歩していました。
もう長いお付き合いとなるヘルパーさんは料理も上手で、会うたびにレシピを教えてもらっています。高齢の父が一人暮らしを続けていられるのも、多くの人に支えられているから。
「おはようございます」と声をかけると、ヘルパーさんが「昨日の夜、九州で大きな地震があって…」と言います。

一晩、ネットもチェックしていなかったので、朝まで地震のことは何も知らなかったのです。実家のテレビをつけると、地震の報道一色でした。

日曜日の朝日新聞天声人語

作家の小松左京氏が、活断層の全国分布図を初めて見た時のことを書いている。「これじゃわれわれは、『ひび焼き』の陶器の上に住んでいるようなものじゃないか!」。ひび焼きとは、表面に細かなひびがびっしりと施された焼き物。列島を縦横に走る線形と、陶器そのものの脆(もろ)さが重なり合う。

「ひび焼きの陶器」で思い出したのが、ナポリの卵城(カステロ・デル・オーボ)です。
サンタルチア港に突き出した巨大な石の要塞。基礎部分に卵を埋め込み、「卵が割れる時、城もナポリも滅びる」という呪文をかけたそうです。

仕事をして、年老いた親の家の家を訪ね、テレビを見て、新聞を読む。
ありふれた日常のようでいて、それは僥倖の上に成り立っているもの。九州の地震に神戸では1995年、東北では2011年がよみがえります。

私たちは、ひび焼きの陶器や卵の上で暮らしている。崩れる時はあっけなく崩れてしまう。
「また明日」「また来週」と気軽にあいさつを交わしますが、明日や来週は永遠に来ないかもしれません。


1月に訪れた台湾でも、その後2月6日に南部で大きな地震がありました。