翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

阿里山にはいつでもゆける

1月に台湾の嘉儀を訪れ、陳君に心こもったおもてなしを受け、再び訪れたいと強く思いました。
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嘉儀を訪れる観光客のほとんどは、阿里山観光の拠点とするためです。
今年の旅は森川巡査が祀られている富安宮を訪れるのが第一の目的だったので、阿里山までは足を伸ばしませんでした。

陳君が連れて行ってくれた檜村には、阿里山を紹介するスポットがありました。
阿里山の観光局に勤めていた陳君はなにやらスタッフと楽しそうに話し込んでいます。
阿里山紹介のビデオの日本語版があります」とのこと。
阿里山鉄道の運転士が「いまはやまなか、いまははま〜」と日本語で歌っていました。

陳君に「阿里山に行くなら、いつがベストシーズン?」と聞くと「桜が咲く3月」とのこと。
日本が台湾を統治していた時代、国の象徴として台湾中に桜を植えました。それが毎年、春の風物詩となっているのです。

ああ、行ってみたい、春の阿里山
嘉儀まで行けたのだから、阿里山までもう一歩。行こうと思えばすぐに行けるはずですが、そういうところに限ってなかなか行けないものです。

台湾には「阿里山にはいつでもゆける」という言い回しがあります。出典は司馬遼太郎

街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)

街道をゆく 40 台湾紀行 (朝日文庫)

司馬遼太郎が初めて台湾を訪れたとき「いつでも行けると思っていたから、つい怠っていた」と老台北に告げると、こういわれたそうです。
「台湾にも、そういう言い回しがあります。”阿里山にはいつでもゆける”」

ここで思い出すのが、母のことです。
母は岡山県で生まれ育ち、嫁いだのも同じ市内です。
母の小学校では遠足で由加山(ゆがさん)に行くのですが、何らかの事情で母の学年は行かなかったそうです。以来、母は「由加山にはいつでもゆける」と思いつつ、舅姑小姑に囲まれた気詰まりな暮らしとなり、父の仕事で神戸に転居して自由を得たものの、わざわざ由加山まで行くことはありませんでした。

母がパーキンソン病で体の自由がきかなくなった頃、兄は「由加山ぐらい、いつでも連れていけたのに」とポツリと言っていました。

「やりたいことは、今、やろう」と決めました。
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でも、人生には「いつでもできる」と思いながら、一生できないこともたくさんあります。
ガルシア・マルケスを愛読し、いつかはコロンビアを訪れてみたいと夢見るのですが、おそらく一生行かないと思います。そして、村上春樹の影響で『アンナ・カレーニナ』や『カラマーゾフの兄弟』をそのうち通読したいのですが、他にも読みたい本が山のようにあります。

やり残したことへの思いを抱きながら、人はこの世に別れを告げるものなのでしょう。


日本統治時代の阿里山ホテル。