翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

ここも退屈、あそこも退屈

退屈になると、旅の計画を立てたり、本を読みます。この本も退屈な日に読みました。

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

没個性な地方都市を舞台に、今の日本の若者が置かれた閉塞的な状況が描かれている短編集です。現代的であるとともに、普遍的な物語であると感じました。

『アメリカ人とリセエンヌ』という一篇。
小学生の頃の夢は、リセエンヌになることだったという女子大生が主人公です。

なんでわたしは日本に生まれたんだろう。なんでわたしは日本人以外のものになれないんだろう。生まれ変わったら必ずやリセエンヌになってやる。
<中略>
でも、やっぱりアメリカ人だよなぁと思う。アメリカ人にさえ生まれていれば、なにもかもうまくいった気がする。

アメリカ人にさえ生まれていれば、ハイスクールを卒業し、カリフォルニアに行き、ウエイトレスをしながら映画のオーディションを受けてデビューする。21歳でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、ケイト・ブランシェットに敗れるものの、27歳にして主演女優賞を受賞…といったリアルな妄想シーンが展開します。

外国かぶれで妄想癖のある若者なら、どの時代にもいたのではないでしょうか。私もその一人だったし。
同級生が夢中になっている日本のアイドルに興味がなく、ボブ・ディランを聴いていた暗い高校生だった私は、退屈な日本から脱出することばかり夢見ていました。10代から20代にかけてはアメリカに夢中になりましたが、アメリカに行ったからといって、ディラン先生のような詩が書けるようになるわけではありません。その後、アイルランド、そしてフィンランドと、あこがれの国は変わってきました。

今年の夏は、フィンランドの18歳の若者、ヘンリク君をホームステイに迎え、楽しい3週間を過ごしました。

帰国したヘンリク君からメールが届きます。
フィンランドの短い夏は終わり、ヘンリク君の高校生活が再開。「卒業試験は、浅草で買った「必勝」の鉢巻を締めて受けてみようか、どう思う?」「阪神タイガースはどうなっている?ジャイアンツよりは上だよね?」と、微笑ましいことが書かれています。
フィンランドの夏は終わり、休みの日は森にキノコ採りへ。シャントレル(アンズダケ)が密生している秘密の場所を発見。お母さんはブルーベリーのジャムをどっさり煮ているそうです。
ムーミンや『かもめ食堂』好きの日本女性がうっとりするような生活です。

しかし、ヘンリク君はしきりと「退屈だ」というのです。東京のエキサイティングな日々が忘れられない、ここには何もない、退屈でたまらない…。

ヘンリク君、この年になったからこそできるアドバイスだけど、どこに行っても退屈しない場所なんてないから。
たしかに新しい土地に行けば、最初は目新しいことばかりで興奮するけれど、慣れてしまえば、退屈になる。紛争や飢餓、疫病の蔓延する地域では、退屈を感じる前に命を落としてしまう。
どこに行っても、退屈からは逃れられない。
だけど、どこにいても、退屈しなくてすむ方法もある。それを探しているうちに退屈を忘れることができるかも。


ヘルシンキの市場に並ぶ色とりどりのベリー類。