翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

占いはおそろしい、占いはおもしろい

先週、阿佐ヶ谷七夕祭りのイベントで、ほぼ2年ぶりに占い鑑定を行いました。

鑑定はほぼ10分ほどだったので、筮竹を捌く時間を省略し、イーチン・タロットで易の卦を出してみました。お客さんご自身にカードを選んでもらうスタイルで、どの卦が出るかは、私もどきどきしました。
占い師は単なる筒のような存在で、易神のお告げを伝えるだけ。そらおそろしいことですが、そこが卜術(ぼくじゅつ)のおもしろさです。

七夕祭りのイベントでは水曜日は占い師として座り、土曜日はお客さんの案内やドリンクサービスのお手伝い。
他の占い師の方々の鑑定姿を眺めるのも、なかなかおもしろい体験でした。

占い学校に通い始めた頃、友人の一人にこんなことを言われました。
「悩んでいる人の相談に乗って、それでお金を取るわけ?」

その時は、「雑誌の占いページの原稿を書くために学校に通っているのであって、対面鑑定はやらない」と答えました。しかし、勉強が進むにつれて、実際に人を占ってみないと、占術が身に付かないように感じ始めました。
そこで週1回、横浜中華街の店に占い師として座るようになり2年間続けました。七夕祭りのイベントを始めたのも、中華街に通っていた頃です。
占いをしてお金をいただくかどうか、ここが一つのハードルです。占い学校では、何年も学び続けているのに、そのハードルが超えられない人もたくさんいました。

しかし、占い師として食べていけることが、はたしていいことなのか。
占い業界の片隅に身を置いていると、不幸な占い師も山ほど目に入ります。
本業を持ち、趣味や教養の一環として占いを学び続けているほうが、真っ当で幸せな生き方かもしれません。

占いのロジックを勉強すればするだけ当たるようになるわけではありません。
占い学校で同期だった優春翠が、占いの店に所属もせず、自分から集客もしないのに、あれよあれよといううちに鑑定予約がぎっしり入るようになるプロセスを目の当たりにしました。占い師という職業は自らがなろうと思ってなれるものではなく、天に命じられた者のみが就ける仕事のような気がします。

占いでお金をいただくことについては、占い学校の先生のこんな言葉が強く印象に残っています。
「勉強の途中で、練習として無料で占ってみるのはいいが、基本的に鑑定料はいただかなくてはいけない。占いとは、天の秘密を漏らすこと。一般の人が知ることができない秘密を聞くのだから、占われた人は、対価を払わなくては、災いがもたらされる」

私が占いをやっていると知られると、「じゃあ手相見てください」といきなり手のひらを差し出されることもあるのですが、それはやっぱりできません。アメリカのパーティで医師に自分の体調について相談したら、後で請求書が送られてきたというエピソードも思い出します。「占い師は医師や弁護士と違って免許も資格もないじゃないか」と反論されたら、「占いをいい加減なものだと考えているのなら、アドバイスを求めてもしかたがないでしょう?」と返します。

とはいえ、普通の人にとって占いの館は敷居が高いし、鑑定料がいくらになるかも不安に感じることでしょう。
その点、七夕祭りのイベント鑑定のように、1000円で10分程度、運試しのつもりで占ってもらうというのは、なかなかいい機会ではないでしょうか。私にとっては、年に一度は現場の勘を取り戻すいい機会でしたし、空いている時間を狙って数人の占い師の方々に占ってもらったのも刺激的でした。

占いはおそろしいけれど、おもしろい。占いを学んでいると、一生、退屈しません。


腕利きの占い師の顧客に多いのは、スポーツ選手、芸能人、政治家だそうです。社会的ステータスは高いけれど、立場はきわめて不安定で、運に大きく左右される仕事だから。