人生は旅だといっても、いつもおもしろおかしく過ごせるわけではありません。
昨年の冬至に、ある人の年筮を立てると「火山旅」でした。
休暇を取りまくって旅行するという意味ではありません。今でこそ旅はレジャーですが、交通網も宿泊施設も整備されていない昔の旅は、心細くて苦しいものでした。
現在でも旅はすべて楽しいわけではありません。
時には「お金と時間を使って、なんでわざわざこんな思いをしなくてはいけないのか。家でのんびり過ごすこともできたのに」と思うことだってあります。
そして貧乏性のせいか「せっかく旅に出たのだから、特別なことをしなくては」という思いに追い立てられます。
村上春樹の海外滞在記『遠い太鼓』を読むと、オフシーズンの自由旅行者として、やることを探すのに苦労している記述がよく出てきます。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1993/04/05
- メディア: 文庫
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僕らは町をぶらぶらと散歩し、ウゾー工場を覗き、岩の上の教会にのぼってミサを見物し、絵葉書を何枚か買い、カフェで熱いコーヒーを飲みながら海に沈んでいく夕日を眺める。まるで柔らかいお餅をのし棒でぺらぺらに伸ばすみたいに、僕らはいろんな動作・作業をできる限り長く引き延ばして、時間をなんとかやりすごす。やれやれ、やっと日が暮れた。やっと一日が終わった。
人生は旅だけでなく四季にたとえることもできます。
東洋占術では、季節と色を結びつけ、青春、朱夏、白秋、玄冬という言葉がありますが、青春や朱夏の時代には、学ぶことも多くて毎日があっという間に過ぎ、時間を効率的に使う方法を探ります。
白秋や玄冬を迎えて仕事からのリタイアすると、時間をどうやってつぶすかが課題となります。会社人間だった男性が定年を迎え、何もやることがなく妻にうっとうしがられるパターンです。
現在はスポーツクラブ通いに忙しい私ですが、ズンバはいつまでもできるわけではありませんから、ヨガや水泳など高齢になっても続けられるエクササイズにも目を向けないと。
年を取ってお金や健康の心配をするのもつらいでしょうが、「何もやることがない」というのも、かなり恐ろしいことです。