翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

2015年、旅の成り行きは

前月、12月22日の冬至の日に頼まれてある人の年筮を立てたら「火山旅(かざんりょ)」が出ました。

易経の時代には、旅は困難が多く心寂しいものでした。
年筮で「火山旅」が出たら、何かと苦労する一年と読むべきかもしれませんが、現代人にとって、旅はレジャーであり、平凡な日常生活に刺激をもたらすものです。

易経の卦辞、爻辞を現代語に訳して伝えるのでは単なるおみくじですから、本人の状況に合わせて読み解かなくてはなりません。
占った人は、とある会社の要職にある人ですから、気楽な年にはならないでしょう。得た爻は四爻ですから、収入面はまずまず(爻辞に「資斧(しふ)を得る」とあります)。四爻と初爻は陰陽が応じていますから、部下や外注との関係も良好…といったことを次々と考えていきました。

人生は旅にたとえられます。
見知らぬ土地で勝手がわからず苦労しながら、めずらしい風景や文化に触れて楽しむというのは、人生そのものです。物理的に移動しなくても、新しい体験をしたり、新しい人と知り合うのは、旅のようなものです。

久しぶりに村上春樹の『遠い太鼓』を再読して、人生はまさしく旅だと思いました。

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)

夫婦でヨーロッパ各地に滞在し、執筆を続ける。なんて素敵なんでしょう!

しかし、ギリシャの島では冬の寒さに凍え、ローマでは「2、3ヶ月のうちに上の部屋が空くから」と薄暗い半地下の部屋でずるずると暮らし、東京に一時帰国する前日に航空券、パスポート、クレジットカード、トラベラーズチェックの入ったバッグを盗まれる羽目に。ロンドンの肉屋ではアメリカ英語が通じず、売り子の女の子はやれやれという顔で首を振り、適当な肉を包むので欲しいものは手に入らない。

そんなに苦労が多いのなら、日本にいて快適な環境で原稿を書けばいいんじゃないかと思いますが、村上春樹は外国で暮らす理由があったのです。

 日本にいると、日常にかまけているうちに、だらだらとめりはりなく歳を取ってしまいそうな気がした。そしてそうしているうちに何かが失われてしまいそうな気がしたのだ。僕は、言うなれば、本当にありありとした、手応えのある生の時間を自分の手の中に欲しかったし、それは日本にいては果たし得ないことであるように感じたのだ。

「火山旅」の卦から、人生は旅のようなものだと思いましたが、村上春樹の北方ヨーロッパ人の旅に関する考察には笑ってしまいました。

 北方ヨーロッパ人――彼らは実に困難と貧困と苦行を求めて旅行をつづける。嘘じゃない。彼らは本当にそういうのを求めているのだ。まるで中世の諸国行脚みたいに。彼らはそういう旅を経験することが人格の形成にとって極めて有効・有益であると信じているように見える。彼らは殆ど金を使わない。彼らは殆どレストランに入らない。彼らは二百円安いホテルを探して二時間町を歩きまわる。彼らの誇りは経済効率にある。車の燃費と同じである。どれだけ安い費用でどれだけ遠くまで行ったか。彼らはそのような長い苦行の旅を終えて故国に帰り、大学を出て、社会に出る。そして――例えば――株式仲買人として成功する。結婚し、子供も成長する。ガレージにはベンツとボルボのステーション・ワゴンが入っている。すると今度は彼らはまったく逆の経済効率を求めて旅に出る。どれだけゆったりと費用をかけてどれだけのんびりと旅行するか、それが彼らの新しい経済効率である。

残念ながらガレージに二台の車を入れるレベルには到達できませんでしたが、若い頃のような節約一辺倒の旅からは卒業できました。
そして、職業生活も、次から次へと締切に追われて行きつく暇もないという忙しさから解放されつつあります。

どれだけゆっくりと、一瞬一瞬を味わいながら生きるか、これが今年からの旅のテーマです。


ヘルシンキの主要観光スポットは一日もあれば回れますが、大好きなフィンランドを満喫するためには、目的のない街歩きがベストです。