翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

「ネット上の服」を着た出会い、着ない出会い

おひとりさま北海道温泉ツアーがおもしろかったのは、白紙の状態で初対面の人と出会うという体験が新鮮だったから。
ここ数年、ネットで下調べして、ある程度の情報を得てから人に会うのが当たり前になってきています。

いつも示唆に富んでいるカジケンブログに、こんなエントリーがあります。

ネット上に何着、服持ってます?
http://kajikenblog.com/?p=3460

自分は何が好きなのか、どんな考え方をするのか、どんな価値観を持っているのか、そしてそれらの発露としての今までの行動の履歴や職歴などなど。

そういったことをできる限り、シンプルに分かりやすく、他者に理解してもらえるような仕組みを作っておく。そういうことが大事な時代になってくると思います。

たとえるなら、それはネット上でどんな服を着ているか、みたいなものなのかも知れません。

ビジネスであれば、スーツを着る。プライベートでは、カジュアルな服を着る。それぞれの着こなしや身だしなみ、服の選択に、その人の個性は表れますし、周りの人はそれを見て意識・無意識にその人の印象を決めています。

そしてそんな中、靴が汚いなどのほころびは気づく人は気づくもの。

結局、今の時代、偽ろうと思っても、見る人が見たらバレちゃうんだと思います。それってリアルもネットも変わらなくなってきているような気がします。

だからこそ、飾ろうとするのではなく、もっと自然体でネット上にアウトプットしていけば良い。いずれ服の着こなしと同じレベルで、ネットでの振る舞いが捉えられるようになるのでしょう。

だからこそ、ネット上で今から色んな服を用意しておいても良いかも知れませんね。

自分のことをきちんと理解してもらうために。

カジケンさんとはお互いのブログを通じて知り合いました。
ITの最先端の若い人と会話が成立するのかどうか不安でしたが、実際にお会いしてみると、次から次へと話したいことが出てきました。

「ブログを書いていてよかった」と実感したのですが、「その人が書いたもので人を評価する」文化は中国にもありました。

司馬遼太郎空海の風景』にこんなシーンがあります。

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈上〉 (中公文庫)

空海の風景〈下〉 (中公文庫)

空海の風景〈下〉 (中公文庫)

留学僧として中国へ向かった空海延暦23(804)年のことです。
遣唐使船は南方に流されてしまい、小さな町に漂着します。
「日本の国史である」と説明しても、州吏は疑ってかかります。海賊や密輸業者も横行しているからです。
三ヶ月間に及ぶ漂泊で衣服はボロボロになり、栄養状態も悪く、怪しげな風貌になっていたため、罪人のような扱いを受けました。
その時は無名の僧に過ぎなかった空海ですが、名文家であることから、中国の地方長官へ提出する文書を書くことになりました。

福州の役人は空海の文書に「長安の学士でもこれ以上のものを書けるものはいない」とたいそう驚き、空海の一行への扱いはがらりと変わり、丁重にもてなされます。
中国人は文章こそ文明の基礎であり、政治の基本としていたからです。

易の六十四卦に「雷火豊(らいかほう)」という卦があります。五爻の爻辞は「章(しょう)を来たして、慶誉(けいよ)あり。吉」。

この爻辞の説明に、銭天牛はこんなことを書いています。

すぐに役立つ銭流「易経」 (すぐに役立つシリーズ)

すぐに役立つ銭流「易経」 (すぐに役立つシリーズ)

知人の画家が中国戦線で終戦を迎え、捕虜となった。配給される食事は極端に少なく、餓死寸前。
そこで画家は絵を書いて食糧と交換していたのですが、あるとき余白に詩を書きました。唐詩選の焼き直しのような漢詩です。
すると中国の兵隊がびっくりして、扱いが変わり、特別に食事を作ってくれるようになったそうです。
「世界中の軍隊で、詩人に対し特配してくれるのは中国軍だけでしょう」と銭天牛は書いています。

こういうものを読んで、文章で評価される社会にあこがれていたのですが、今の時代では、ネットに書いた文章によって知らない人との交流を始めることができます。
若いのに見識のある人だと感心しながらカジケンさんのブログを読んでいたら、実際にお会いできたのですから。
カジケンさんの言う「ネット上の服」を着ていたからこそ、実現したことです。

その一方で、クラブツーリズムのおひとりさまツアーのように、ネットとは無縁の人との出会いもあります。
「文章を書くのがあまり好きではない」「ネット上に自分のことをオープンにする必要がない」という人も多いですから、「ネット上の服を着た人しかつきあわない」というのは、世界を狭くしてしまいます。

「ネット上の服」を着ていなくても、距離感を測りながら、楽しいひとときを過ごす。
両方の出会いをうまくできるようになるのが理想です。