翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

40年前の思い出を求めて

フィンランドで出会った女性(アンニッキさん)から、帰国後にこんなメールが来ました。

私が日本の高槻に滞在したのは、ずいぶん昔のことだけど、グーグルマップで当時の住所を探してみた。
1974年、私はあるお店の2階に住んでいた。このお店は、私が滞在した時と同じ一家が経営していると思う?
ネットには電話番号しか掲載されていなくて、メールアドレスはわからない。
もし、あの一家が今もここにいると知ったら、とてもうれしい。
40年も前の話なんだけれど。男の子が2人いて、3歳か4歳だった。

フィンランドでは、アンニッキさんの悲恋物語を聞いて、大いに心動かされたものです。
「成就しなかった真実の恋は、いつまでも心に残る」
http://d.hatena.ne.jp/bob0524/20131114/1384384439

さて、どうしたものか。
アンニッキさんが絞り込んだ候補は2店で、そのうち1店は大きなチェーンで、高槻に開店したのは1990年代なので候補から外れます。

残りの一つに電話してみる?
東京からいきなり電話して、いきさつを説明するのも一苦労だし、個人情報保護のご時世に、立ち入ったことを聞くのもはばかられます。

高槻に知人はいないか、つてをたどってみましたが、なかなかうまくいかず。
ネットを自在に使いこなすデジタル・ネイティブなら、何かうまい方法を見つけるのかもしれないけれど、やたらと拡散していいものなのか。

20年前、これと似たようなことがありました。
明治時代にアイルランドに渡った日本人の子孫のルーツを探すお手伝いをしたのです。
アイルランドの日本庭園を巡る長い物語」
http://d.hatena.ne.jp/bob0524/20120930/1348932400

このとき、とても親切に手助けしてくれたのが外務省の外交史料館横浜市中区役所でした。

そこで思いついたのが、高槻市で国際交流を推進している団体です。
40年前とはいえ、アンニッキさんは高槻市に住んでいた外国人なのですから、相談にのってくれるかもしれない。
そう考えて、ネットで検索して、Takatsuki International Association/TIA(公益財団法人 高槻市都市交流協会)にメールを送ってみました。
私の自己紹介や連絡先とこれまでの経緯を簡単に書き、このブログも添付しておきました。

数日後に電話連絡をいただきました。
なんと、実際に候補のお店を訪問し、尋ねてくださったそうです。
結果は、正解でした。

私からも連絡していいというので、電話してみましたが、最初に出た店員さんは事情を知らないため、説明するのが一苦労。「どこにおかけですか? こちらは○○店ですけれど」という対応。いきなり電話したのではきっと無理だったでしょう。
ようやく電話を代わってもらい、アンニッキさんを覚えているという方とお話できました。

IT時代にいかにもローテクな方法のようですが、ネットがあったからこその部分もかなりあります。
20年前はまず電話で担当者にコンタクトを取り、詳しい経緯はファックスで送り、改めてアポを取りました。東京在住なので、外務省の外交史料館横浜市中区役所にも実際に出向くこともできました。
今回は高槻だったので、そう簡単には行けません。高槻市都市交流協会の存在を知ったのはネット検索によるもの。ホームページにメールアドレスが掲載されていたのでメールを送ることができました。

そして、アンニッキさんはIT先進国のフィンランドの人ですから、グーグルアースやグーグルマップを駆使して40年前に自分が暮らした高槻のお店を探しました。
たまたま日本人の私と知り合い、メールやフェイスブックがあるからこそ、気軽に交流を続けることができました。
切手を貼ってエアメールを出すという国際文通というのは、なかなか続かないものです。スペルチェック機能を使えば恥ずかしい間違いをしなくてすむというのも心理的ハードルを下げます。

高槻市都市交流協会の方が実際に動いてくださったのも、アンニッキさんの高槻への思いを知ったからかもしれません。単に「昔、高槻に住んでいた外国人がなつかしく思っている」だけでは、面倒だと思わる可能性もありました。

ビジネスではないので、これで利益が生み出されたわけではありませんが、ITの進化による恩恵を実感でき、この世の中も捨てたものじゃないと思えました。


フィンランドでアンニッキさんと一緒に食べたカレリアパイ。ライ麦で作った生地にミルクで炊いたご飯を挟んでオーブンで焼き、ゆで卵を乗せます。