翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

『Mama, I want to sing』を観て才能について考える

渋谷のヒカリエにある東急シアターオーブでミュージカル『Mama, I want to sing』を観てきました。
実在の歌手、ドリス・トロイの人生に基づくもので、彼女の姪がドリス役を務めています。

ニューヨークのハーレムで、牧師の娘として生まれたドリス。
教会の聖歌隊でゴスペルを歌い、父からは「お前には歌の才能がある」と励まされます。

キリスト教では「才能」は、神から贈られたものと考え、ギフテッド(gifted)という単語を使います。
コーリング(calling/召命)、ヴォケーション(vocation/天職)といった言葉もたくさん出てきました。

エペソ人への手紙第4章1節。
Conduct yourselves worthy of the calling you have received.
あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩きなさい。

最大の理解者である父が急逝し、成長したドリスはショービジネスに興味を持つのですが、母は大反対。
そこでタイトルである『Mama, I want to sing』が歌われるわけです。

日本人の私にとっては、教会の聖歌隊のゴスペルも、十分エンターテインメントに聞こえます。
しかし、ドリスの母にとっては、聖歌隊は良くても、娘がアポロシアターで歌うのは許せないのでしょう。

才能といえばタレント(talent)という言葉もありますが、これも聖書に有名なたとえ話があります。
マタイによる福音書第25章。

ある人が旅に出るとき、しもべの能力に応じて、5タラント、2タラント、1タラントを与えた。
5タラントを与えられた者は商売をして、さらに5タラントを儲けた。
2タラントを与えらえた者も同様に2タラントを儲けた。
しかし、1タラントを渡された者は、地中にお金を隠しておいた。

主人が帰ってきて、5タラント、2タラントを儲けたしもべを賞賛。
1タラントのしもべは「あなたは酷な人だから、お金を減らさないように隠しておきました」と報告。
主人は激怒。
「悪い怠惰なしもべよ。金は銀行に預けておくべきだった。それなら利子がついたのに。
この役に立たないしもべを外の暗い所に追い出せ」

大学のキリスト教学でこの部分を読んだとき、聖書にしては、やけに世俗的な話だと思いました。
「お金はたとえであり、タラントはタレントの語源。天から授けられた才能を埋もれたままにしてはいけない」と教わりました。

しかし、この聖書の教えを実践するのはむずかしい。
まず、自分にどんな才能があるのかわからない。
「私にはどんな仕事が向いているのでしょうか?」と占い鑑定の現場でもよく聞かれます。
そして、自分の才能がわかったとしても、今の世の中で求められていないものだったら、趣味にはなるけれど、食べていくことはできません。

私は「書く」ことを仕事にして20数年食べてきましたが、それは生まれた時期がよかったから。
もっと遅く生まれてきていたら、縮小傾向にある出版業界でフリーのライターとして食べていくのはむずかしかったでしょう。

そして、私に「書く」才能があるとしても、小説や戯曲、詩の才能ではありません。
限られた時間内に、与えられた文字数に合わせて文章をまとめる才能です。
このことに気がついたのは、大学時代です。記述式の試験がものすごく得意でした。
今でも、文字数の入ったレイアウト用紙を渡されると、スイッチが入り、どんどん書けます。
小説を書きたいというような文学的野心は持たず、与えられた文字数に従って雑誌の原稿を書くという作業を続けてきたからこそ、仕事として成り立ってきたわけです。

このブログは3年前から始めましたが、自由に何でも書いてもいいとなると私には書きにくいのです。
占い師のブログですから大きなテーマを「開運」とし、フィンランドとカウチサーフィンをサブのテーマとしました。そして、締切がないと書けないので、週2回、日曜日と木曜日の更新と決めました。

先日も、けっこうタイトなスケジュールで8ページの大特集の原稿を書き上げました。
担当編集者からは「帳尻合わせるの、得意だね」と、賛辞にあまり聞こえないおほめの言葉をもらいました。

だからドリスの場合、歌の才能を発揮できる場所はゴスペルではなく、ショービジネスだというストーリーに大いに共感したのです。

ボブ・ディランには高校時代、講堂でロックを演奏し、校長にマイクを切られ、幕を締めらるという屈辱の体験があります。
ミネソタ州ヒビングは彼の才能を開花する地ではなかったのです。だから彼はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに向かいました。

才能は、歌とかスポーツ、美術など特殊な分野に限られるわけではありません。
私の母がよく「専業主婦になるにも才能がいる」と口にしていました。
毎日同じことの繰り返しで、手を抜けば家族から非難される。日常生活の中に喜びを見出し、満足できる才能がなければ、専業主婦なんてやってられないと母は言うのでした。たしかに、承認欲求を持っていると、専業主婦なんてとてもできたものじゃありません。
私は生意気な娘で、母が調味料を切らしていると「専業主婦なのに、ストックの管理もしていないの?」なんて憎たらしいことを言ってました。
母はそんな私を「専業主婦になる才能はない」と見切っていたのでしょう。だから家事を仕込むより、勉強優先で育ててくれました。

天から与えられた才能に気づき、活かす道を見つけること。
それができる人を幸運な人と呼ぶのでしょう
昔は、才能を封印して、とりあえず企業に入社し、与えられた作業をこなしていれば正社員の安定が手に入っていましたが、そういうことがむずかしい時代になりました。
だからこそ、どの科目もまんべんなくいい成績が取れる優等生を目指すより、熱中できるものを探すほうがいいと思うのです。


シアターオーブのロビーで白ワイン。晴れた日のマチネだったので、渋谷の街を見渡せました。