翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

「去る者は日々に疎し」とならないFacebook

物心ついたときからネットがあったというデジタル・ネイティブでない限り、ネットとの付き合い方は試行錯誤の連続です。

私は書く仕事を始めたのは、30年前の広告業界。コピーライターをやっていました。
右も左もわからない新人時代、出社して最初にやることは、先輩のコピーライターの鉛筆を削り、原稿用紙の上にセットすることでした。
こんなことを今の人に話しても、信じがたいでしょう。

そのうちワープロが普及。
「機械で書いたものなんて文章じゃない」なんていう老大家もいました。
広告業界から出版業界に転じた私は、データ収集のためにパソコン通信を始めました。キーワードを入力して新聞記事を検索できるというのは画期的でした。
気づけば、ワープロは駆逐され、パソコンに取って代わられました。
雑誌の入稿も、原稿用紙にデザイナーの指定した文字サイズを書き込んでいたのが、フロッピー添付、メール送信へと変わっていきました。

そして今や、メディアといえば活字やテレビではなく、ネットのソーシャルメディアとなってしまいました。
数年前までは、mixiがブームで誘われて入会したものの、数回書き込んだまま放置。
その後、中華街の占い師の同僚がこぞってツイッターを始めましたが、その場で思ったことを全世界に発信するなんて、私にはそんな度胸はありません。
3年前にアラン・コーエンのマウイ島リトリートに参加し、同行者たちから誘われ、Facebookを始めたものの、メール機能を数回使っただけ。占いの仕事では「翡翠輝子」という名前を使っているので、その名を冠したこのブログのほうにエネルギーを注いでいした。

カウチサーフィンでフィンランド人をホストするようになって、「Facebookやってないの?」とよく聞かれます。
そこで、彼らとFacebookで友達になったのですが、これがけっこう楽しくなり、毎日、覗くようになりました。
我が家に泊まった後、日本でどんな体験をしているのかが逐一、わかります。ヨルマを再びホストしたのも、「お盆で宿が見つからない」と彼が書き込んだから。

フィンランドの日常生活を垣間見ることができるのも、なかなか興味深い。フィンランド語で書き込まれることも多いのですが、外国人が興味を持ちそうなことは英語で書かれています。

外国人と友達になっても、帰国してしまえば、「去る者は日々に疎し」となりがちです。
用もないのにメール交換をするのも不自然だし、長文の英語を書くのは私にとって負担です。
でもFacebookなら、一言、書き込むだけですぐ反応があります。私は「いいね!」ボタンを押すよりも、ちょっとした感想や質問を書き込むのが好きです。
文法や綴りの間違いがあったら恥ずかしいのですが、どんどん流れていくので、神経質にならないことにしました。

Facebookでのやりとりを続けているからこそ、「8月末からフィンランドに行く」と知らせると、話の展開がスピーディ。

スザンヌは私の日程に合わせて、できるだけ長い時間を一緒に過ごせるように勤務シフトを調整。新聞記者のアン姉さんは休暇を申請。政府系の金融機関に勤めるユハナ君とはランチを一緒に。フリーランスWebデザイナーのノーラは、フィンランド最大の広告代理店を見学できるようアレンジしてくれました。ヨルマの友人「ハーメンリンナの野球狂」ヴィッレとは、日本語でやりとりし、週末の試合での彼の打率までわかるようになりました。

こんな便利なものがあって、本当にありがたいと思っていたところに、友人の占い師からこんな話を聞きました。

「別れた彼のことが忘れらなくて、つらくてたまらないからと何度も鑑定にくるお客さんがいる。
元彼の行動をあまりにも詳しく知っているものだから『ストーカーでもしているの?』と聞いたら、答えはFacebook

昔なら、失恋の痛手は時が癒してくれたものです。
しかし、Facebookによって、かさぶたは掻きむしられ、塩を塗りこまれ、いつまでたっても痛みが続くとは。

こういう話を聞くとネットの付き合い方は本当にむずかしいと痛感します。
新しいサービスをどう使いこなせばいいのか、戸惑うことばかりです。

この方面に強い人のブログを読むと、参考になります。
たとえば、「Facebookはデラックスな連絡帳」と喝破するケイスケさんのブログ。これを読んで、サービスに使われるのではなく、こちらが主体性を持って好きなように使えばいいのだとわかりました。

Facebookの便利なところも見つかった。実名のアカウントというのは、個人を特定するのには便利だ(メールアドレスと違い、変わる可能性が少ないから)。よってFacebookは、今後、私にとっては「デラックスな連絡帳」として存在し続けるだろう。サービスが続く限りは。

ただし、年賀状は1年に1度であるように、連絡帳を開けるのも必要な時だけでいい。Facebookを通して日常的に得られるエクスペリエンスは、私の期待するものではなかった。そういう意味で、私にとっては、Facebookは「ある一定の役割を終えた」と思っている。

Facebookはある一定の役割を終えた
http://sakak.hatenablog.com/entry/2012/04/25/233923