翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

トム・ティット・トットとボブ・ディラン

姓名判断の講座に半年ほど通ったことがあります。

画数だけで吉凶を論じるのではなく、生年月日と合わせて見る手法を習いました。
「名前は洋服のようなもので、どんなに高級な服でもサイズが合ってなかったり似合わないなら、いい服とは言えない」というわけです。たしかに、同じ画数の名前、極端な場合は同姓同名で片や売れっ子芸能人で片や犯罪者というケースだってあります。

鑑定の場で、私は姓名判断はあまりやりません。
すでに名付けられた名前をいまさらどうこう言うのも気が進まないし、生まれてくる子供は、両親が心をこめて命名するべきだと思います。
社名や雑誌名、ペンネームを占ってほしいと依頼されることはあります。
一般的に吉とされる画数のものを提案するだけなら、ネットで山のように無料姓名判断サイトがあります。ペンネームだったら、作品の傾向を聞き、名乗り始めるタイミングの干支暦を見て、最も適した名を提案します。

画数だけの吉凶は否定しますが、名前の持つ力はとても大きいものです。

イギリスの昔話「トム・ティット・トット

パイを一日に5つも食べてしまった女の子がいました。
あきれた母親が「うちの娘は一日にパイを5つ食べた」と歌っていたら、通りがかった王様の耳に入ります。
「おもしろい歌なので、もう一度歌ってほしい」と王様。
パイを5つも食べたなんて外聞が悪いから「一日に糸を5つ紡いだ」に替えて歌いました。
王様は「本当にそんな働き者なら后にするので、城で1ヶ月間、糸を紡いでほしい」と娘をお城に招きます。
お城に糸紡ぎ部屋で困り果てていた娘の前に小鬼が出現。
「代わりに糸を紡いでやるから、俺の名前を当ててみろ。当たらなければ、おまえは俺のものになる」という契約を持ちかけます。
娘は承知し、小鬼は毎日糸を紡ぎます。あてずっぽうであれこれ名前を言ってもまったく当たりません。

とうとう最後の日。王が娘に、王がこんな話をします。
「森に狩りに行ったら、小鬼を見た。『おいらの名前はトム・ティット・トット』と歌っていた」
小鬼の名前を当てた娘は晴れて后となり、糸紡ぎからも免除されました。

私は親しい人を特別な名前で呼ぶのが好きです。特別な関係性が生じるから。
反対に、本人が嫌がるあだ名を勝手につけて呼ぶのは屈辱的ないじめです。

我が家に泊まるカウチサーファーは、うちだけで通用する呼び方をします。

スザンヌは「フィンランドではススキと呼ばれている」と自己紹介したのですが、
「昭和枯れすすき」みたいで、私は気に入りません。
「おおスザンナ」の陽気なイメージがいいかと思ったのですが、ドイツ人なので本来の発音は「スザンネ」に近い。
間をとって「スザンヌ」と呼ぶことにしました。

ケネスはアメリカ人で、愛称のケンを名乗りました。
「ケンって、日本にもよくある名前。『ラスト・サムライ』でトム・クルーズと共演したのもケン・ワタナベでしょ。ケネスのほうがオーセンティックな英語の名前って感じだから、ケネスと呼んでもいいかしら?」と私。ケネス・ブラナーの映画が好きなことは伏せておきました。
「もちろん。ケネスなんて呼ばれるのは、高校の入学式以来だよ」と承諾してくれました。

マイヤちゃんには、「日本では、カワイイ女の子や動物に『ちゃん』をつけて呼ぶから、あなたのことも『マイヤちゃん』って呼びたい」。「カワイイ」は今や世界共通語なので、すんなり話は通じました。

ユハナ、ノーラ、ミッカの3人は、湯の花、野良猫、三日坊主
漢字を書いて意味を説明したら、大受けでした。
ノーラは犬ではなく、断然、猫のイメージで、本人も野良猫を選びました。

画数診断は得意ではないけれど、名前を考えるのは大好きです。考えるというより、その人を前にしたら天から降ってくるような感覚。
おめでたの女性が「どの名前がいいでしょう」と候補を出して聞いてくることもありますが、とりあえず答えて「赤ちゃんの顔を見て、しっくりするのを選んでください」と付け加えておきます。

ロバート・アレン・ジママンが「ボブ・ディラン」と名乗り始めたのは、17歳の時。
ガールフレンドのエコの家にフォードコンヴァーティブルを走らせてやってきたボブは、庭で彼女と話をします。

ボブはとても興奮して「名前をみつけた。これからのぼくの名がわかった」と言った。
その名前を聞いて、エコは聞き返した。「マット・ディロンとおなじディロン?」
「ちがう。そうじゃなくてディランだ」。ボブは抱えていた本をエコに見せた。ウェールズ出身の詩人、ディラン・トーマスの本だった。

ダウン・ザ・ハイウェイ―ボブ・ディランの生涯

ダウン・ザ・ハイウェイ―ボブ・ディランの生涯

「名前をつけた」ではなく、「名前をみつけた、これからの名がわかった」。
だからこそ、ボブ・ディランは不朽の名となったのでしょう。

私の占い師名・翡翠輝子も、ふっと生まれた名前です。
水晶玉子先生への原稿依頼がうまくいかなくて、ピンチヒッターとして自作自演でページを作ることになり、翡翠輝子と名乗ることにしました。

後から気付いたですが、父方の叔母・照子さんから読みを、母方の伯母・翠(みどり)さんから漢字をもらっていました。

そして、友人の占い師・優春翠は、お母さんの俳号「春翠」をもらいました。
奇しくも、共に学んだきょうだい弟子として、同じ「翠」の字を使っています。


ボブ・ディランが青春時代を過ごしたグリニッジ・ヴィレッジのカフェ。