翡翠輝子の招福日記

本業は女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)。副業で外国人に日本語を教えています。フィンランドが大好き。

聖と俗の境界

石垣島に向かう機内で読んだ本。

易者なので、四書五経ではもっぱら「易経」を読んでいますが、「論語」から始めるのが正統派です。
そこで入門書を捜し求め、たどりついた本です。
著者の小倉紀蔵氏は韓流ドラマブームの際にテレビの韓国語講座の講師をされていたので、語学の先生のイメージがありましたが、ご専門は東アジア哲学です。

最もおもしろく読んだのは、朝鮮の村でのシャーマンの誕生プロセス。

朝鮮の村を支配するのは、両班(ヤンバン)と呼ばれる儒教的知識人。庶民は両班の説く仁義礼智という教えに従うことで、村の平和が保たれます。
しかし村はずれには、両班の支配の及ばないシャーマンがいます。
もともと村の女たちには、儒教的な教えから逸脱する傾向があります。儒教的道徳に縛られた男たちを横目に、川辺でおしゃべりしながら洗濯したり農作業をしながらけっこう楽しく生きています。
そうした女たちの中に、突然、突拍子もない行動を始める女性が出現します。思いつめたような表情でひとり歩き回ったり、脱兎のごとく走り出したり。ついには、山名で鏡や銀の刀を探し始めます。こうした不可解な行動は、天の神霊を自分の身体に受け入れる行為であり、シャーマンへの道なのです。
おおっぴらには、村の中でシャーマンは蔑視されますが、村の女たちは抑圧された行き場のない黒い感情すなわち恨(ハン)を持っていて、その解放のためにシャーマンのもとに通います。

韓国は日本以上の儒教社会なのに、けっこう感情的に燃え上がりやすいイメージがあるのは、こうした構造があるからなんだと理解できました。

石垣島では、まちなか散歩ツアーでガイドさんに案内してもらい、市街の市街にある御嶽(おん)をめぐりました。
印象的だったのは、「ビッチンヤマ」。
昔からの歓楽街で今は少々さびれている「18番街」にある御嶽です。
海上に浮いている岩があり、珍しいので運ぼうとしたらある場所で急に重くなって持てなくなったことから、そこを聖地として祀ったことが由来だそうです。

ガイドさんは「石垣島には、ロジョウネが多いので…」と話を続けます。
街を気ままに歩く猫をたくさん見た私は「路上猫」と思い込み、「そうですね、猫がたくさんいますね」と返答。
だんだん話がかみ合わなくなり、ガイドさんが言うのは、酔っ払って路上で寝る人だとわかりました。

歓楽街の18番街の酒場は遅くまで開いているところが多く、酔いつぶれて路上で寝る人が続出。中にはビッチンヤマで寝てしまう人も。そして、酔いがさめて目を覚ますと、まったく違う場所だったという体験が伝えられているそうです。

占い師は聖と俗を行ったり来たりする仕事です。
ほとんどのことが整然と動く東京で暮らしていると、聖と俗の境界はきっちり引かれているような感覚を抱いてしまいます。

沖縄では、死者の口寄せや運勢を観るユタがいますが、それまで普通に暮らしていた人が、ある日突然、神の啓示を受けてユタになるそうです。これは韓国の村のシャーマン誕生に似ています。
そして、石垣島の飲み屋街では酔っ払って路上で寝ると異界にさまよう。

そうした異次元の境界を垣間見ることも、旅の醍醐味です。