翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

フィンランド語を学ぶ絶望と希望

フィンランド語を学び始めて3ヶ月目。

私が通っているスオミ教会では、1時から初級クラス、2時から入門クラスがあります。私は2時からのクラスに出ているのですが、初級クラスの人達もそのまま残り、入門クラスに参加しています。
私も来年もう一度、入門クラスをやり直さなければ。そのくらい、頭に残りません。
「砂漠に水を撒く」とはまさにこのことです。

外国語を学ぶのはこれほど大変なことだったのか。
英語はどうだったか…。
英語を学び始めた頃は、若くて脳も柔軟だったし、受験のためにはまず英語を勉強しなくては始まらないという強いモチベーションがありました。
さらに、英語の曲や映画、ドラマは身近にあふれています。
ボブ・ディランの「はげしい雨」という曲を聴いたとき、圧倒的な言葉の力に魅せられ、「日本語訳を通さずに、ディラン先生の詩をストレートに理解したい」と思ったものです。
私は英文翻訳の仕事も細々と続け、NHKラジオの英語講座も家事をしながら聞いているので、中学時代からの長い時間をかけて、英語は第二の言語として定着しています。

一方、フィンランド語に接するとしたら、アキ・カウリスマキ映画ぐらいです。
ヨレ・マルヤランタに惹かれてフィンランド語を学び始めたのですが、レニングラードカウボーイズ時代の曲は英語です。
それに、フィンランドを旅しても、すべて英語で事足りました。

そんなわけで、フィンランド語はなかなか身につきません。
クラスでは、フィンランド語のみで書かれた教科書を使っているのですが、宿題が何問か出ると、中には問いの意図さえもわからないものがあり途方に暮れます。
そして、授業が進むに連れてフィンランド語の不思議な文法に悩まされます。
フィンランド語には前置詞がなく、名詞がさまざまな語尾に変化します。
たとえば、猫が椅子(tuoli)の上に飛び乗れば、椅子はtuolillaとなります。
こうした名詞の格変化が14あります。
まだ動詞の変化は習っていないのですが、1つの動詞に100以上の変化形があるという記述を目にすると、すでに気持ちはギブアップ状態。

日本人同士で「カウリスマキ映画が…」「ヨレ様素敵」と盛り上がっても、アキ・カウリスマキもヨレ・マルヤランタも彼らは日常的にこの文法を駆使しているのかと思うと、永遠にわかりあえることはないんじゃないかという絶望感に囚われます。

「一人称、二人称プラス名前」の肯定文ぐらいなら言えます。
将来、もしかしてヨレ様と会うようなことがあれば、
「こんにちは、私はテルコです。あなたはヨレです」と言えるから、もうそれで十分じゃないか。
そんなふうに弱気になっていると、クラスで知り合った年下の友人から叱咤激励されました。
「それだけで英語に切り替えたんじゃ、ヨレ様もがっかりしますよ。もう少し頑張りましょうよ」

しかし、もう少し頑張ったからといって、話題にできるのは教科書に出ている猫の例文ぐらい。
ヨレ様と話しているところに都合よく小さな白い猫が現れて椅子に飛び乗ったり、森に大きな黒い猫が現れたりするでしょうか。

カウリスマキが敬愛する小津安二郎について語っている映像を見ると、最初に「オヅサン」と一礼し、「トウキョウモノガタリ」について語り、最後に「アリガトウ」、この3つが日本語で、残りはすべてフィンランド語です。


カウリスマキだって日本語の知識はその程度。
しかし、「東京物語」のすばらしさを感じ取り、映画の道へ進む決心をしたのです。
言葉は理解できなくても、わかりあえる部分はあるのではないか。

そんな希望を胸に、フィンランド語と少しずつつきあっていこうと思います。
それに、新しい言語を少しずつかじっていると、謙虚な気持ちを持ち続けることができます。