翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

中医学の扉をノックする

先週末、ウラナイ・トナカイで開催された白鳥ともみさんの「更年期養生講座」に参加しました。

 
deuxiemkacha.xyz

 

ともみさんは天海玉紀さんの盟友で、ともに鍼灸師。。

私は更年期を意識することなく、あわただしく駆け抜けましたが、「養生」というキーワードにひかれて受講しました。

 

四柱推命でも、陰陽五行のバランスを見て、体質やかかりやすい病気を類推することがあるけれど、あくまでも占いの範囲。中医学東洋医学)とは異なる体系だそうです。

 

子供の頃からほとんど病気をせず、たまに熱が出ても病院や薬を拒否してきました。家族からは「西洋医学を信じない野蛮人」と呼ばれ続けていますが子供心に「これぐらいの病気は自力で治せる」と思っていたからです。

 

若い頃に働いていた会社の上司が病弱でした。丈夫な私は「親に感謝しないといけないよ」とよく言われたものです。その時はピンとこなかったのですが、今回、ともみ先生から「先天の精(腎性)」の話をお聞きして、「これのことだったのか!」と思い至りました。私は両親からたっぷり先天の精を授かっていたのです。

 

このあたりの思考パターンは四柱推命と少し似ています。生まれた時に授かった命式は人それぞれ。五行のバランスが取れた命式もあれば、極端に偏っていることもあります。その不公平さを嘆くより、手元に配られたカードを有効活用しようというのが開運術です。

 

一方、中医学でいう先天の精は有限です。ピークを迎えた後は減衰します。これが更年期。

 

50代半ばで始めた日本語教師。体の衰えを意識する暇もなく、勢いだけで無欠勤で3年間を駆け抜けてきました。

日本語学校を卒業して気が抜けて、そういえば、集中力がなくなってきたと思うこの頃。昔なら1日でできたはずの仕事に3日かかったりしています。先天の精は明らかに減りつつあります。

  

ボブ・ディランに『天国への扉』という曲があります。

アメリカ開拓時代のガンマンが、死に行く時だと悟り「バッジも銃も、もう使えない。視界がだんだん暗くなってきた。天国への扉をノックしているようだ」と歌います。

 


Bob Dylan - Knockin' On Heaven's Door (Audio)

 

目立った病気はないものの、確実に天国の扉は近づいてきています。

子供の頃と同様、できたら西洋医学にはあまり近づきたくない。

今回の講座は中医学の扉をノックしただけ。ちゃんとドアを開けて部屋に入って、基礎から学んでみたいものだという気持ちになりました。

 

ともみ先生は今後、体系的な中医学の講座を企画されているようだし、学んだ知識を暮らしの中で活かすヒントもたくさんありそうです。体は衰えても、新しいことを知りたいという気持ちがあれば、心楽しく生きていけるような気がします。

 

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ビル・クリントン最大の功績 映画『RBG』

友永ヨーガ学院の通い断食がなんとか終了し、復食期間に入っています。

断食が終わった解放感から一気に食べ過ぎないようにするのが一苦労。ともすれば食べ物のことばかり考えがちなので、映画や読書で気を紛らわせています。

 

食事シーンが少なそうなものを選んで観たのがこの2本。

 

アメリカの最高裁判事のルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)の若き日々の奮闘を描いた『ビリーブ 未来への大逆転』と、実在のRBGへのインタビュー映画。


映画『RBG 最強の85才』予告編

 

断食の空腹を忘れるほど、夢中になって観ました。

個人的な好みはあるだろうけど、断然面白かったのが後者のドキュメンタリー版。

RBGは「私が現在こうあるのは、すべてアメリカのおかげ」と語ります。

1933年生まれで、父はユダヤアメリカ人一世。もし父がアメリカに移民せず、ヨーロッパにとどまっていれば、彼女はこの世界にいなかったでしょう。強制収容所では労働力にならない幼児は到着したその日にガス室送りでしたから。

 

アメリカに移民してきたユダヤ系は、ナチスによるホロコーストにさぞかし震撼したことでしょう。RBGが自分の権利を守るために法律を学んだ動機がよくわかります。

 

日本では最高裁の裁判官の国民審議は選挙のついでに〇か×をつけるかで、よくわからないからそのまま出す人が多いのではないのでしょうか。

 

アメリカの最高裁は大統領によって任命されます。そして任期は終身制。大統領がホワイトハウスを去っても、辞任か死去まで延々と続きます。

大統領にとっては、どんな人物を任命するかが自らの思想信条の表明であり、後世の評価を左右します。

1993年、RBGを任命したのはビル・クリントン。以来、アメリカが誇る自由と平等を守るために、右翼系の判決が下りるたびに反対表明を出し、アメリカの若年層から圧倒的な支持を集めています。

 

RBGをここまでの人物に押し上げたのは彼女の夫です。

『君がアメリカの法曹界の階段を駆け上っていくのが何よりうれしかった』と彼女に書き残してこの世を去りました。彼は若くしてがんを発病し、RBGが懸命に支えてくれたおかげでハーバードのロースクルーを卒業し、ニューヨークで弁護士として成功を収めました。そのお返しに、RBGの最高裁判事就任を応援し、ニューヨークの職を辞し、ワシントンDCに移っています。

RBGの夫選びの決め手になったのは「女性の知性をおそれないこと」。

彼女の青春時代は、女性は知性を隠し、男性よりお馬鹿なふりをすることで選んでもらっていたのです。

 

ビル・クリントンも最強の妻を持つ夫。オバマ大統領の奥さんも法律事務所の元上司。そしてトランプ大統領は…。

願わくば、女性の知性をおそれないどころか、誇りに思う男性が増えてくれますように。

 

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バンコク、ワット・アルン(暁の寺院)は、屋根を支える無数の神々がいます。

枕崎に日本の近未来を見る

断食すると五感が研ぎ澄まされ、匂いに敏感になります。

 

復食期間は、おかゆとみそ汁ばかり食べるのですが、かつおだしの匂いで、たちまち鹿児島の枕崎を思い出しました。

 

枕崎ではかつおぶし工場から鰹節のいい匂いが広がっていました。

映画『翔んで埼玉』では、空気の匂いから街を当てるシーンがありましたが、枕崎なら私にも当てられそうです。

 

鹿児島中央駅から指宿までの特急「たまて箱」は予約満席だったのに、指宿からのローカル線はがらがらでした。通過する駅は無人駅で、指宿・枕崎間は廃線もささやかれています。終点の枕崎で降りたのは私も含めて4人。そして、ここも無人駅です。

 

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もうこれ以上先に行くことはなく、線路は行き止まりです。 

  

鰹節で有名な枕崎ですが、呑んべにとっては、薩摩白波東シナ海の打ち寄せる波を見ると「薩摩白波」は秀逸なネーミングだと改めて思いました。

明治蔵では見学と薩摩白波の試飲ができます。ランチタイムは15時までですが、駅に着いたのは14時半。電話してランチがOKなのを確かめてタクシーで向かいました。ワンメーターの距離ですが、歩くと20分以上かかりそうな場所です。

 

タクシーの運転手さんの話。

枕崎はどんどん人口が減って、今は2万人ほど。

「仕事がないから若者は出て行く。人口の半分は高齢者。ここで繁盛しているのは病院と葬儀社だけ」

スーツのチェーンも出店したけれど、スーツを着るような仕事がないから閉店してしまったそうです。鰹節と薩摩白波は全国的に有名だけど、それだけでは雇用は足りないのでしょう。

 

宿は枕崎観光ホテル岩戸。

hotel-iwato.com

 

温泉と水風呂がある理想的なホテル。

ネットの口コミでは、地元の人が立ち寄り湯として使って混雑するのが不満という人もいましたが、私はそういうお湯が好き。遠くの土地で地元の人と裸で接するなんて、こんな楽しいことがあるでしょうか。地元の人の話す鹿児島弁は半分ぐらいしかわかりませんが、旅行者の私には標準語で話しかけてくれます。

 

朝食のみのプランにしたので、夕食は地元の居酒屋へ。

宿の女将におすすめの居酒屋を教えてもらいました。「魚処まんぼう」はとてもおいしくてリーズナブルな店でした。

「徒歩で10分ほどかかるので、店が空いていたら送迎があるので電話してみましょうか」と女将。東京都民にとって10分程度は徒歩圏内。車の所有が前提の地域とはまったく感覚が違います。

 

そして、居酒屋へ歩く道でびっくりしたこと。

すれ違う人たちがみんな「こんにちは」とあいさつしてくれるのです。高齢の方から、部活動でランニング中の学生まで。たぶん、道で会うのはあいさつを交わす顔なじみばかりなんでしょう。その習慣から旅人にもあいさつしているのではないでしょうか。

 

翌朝、枕崎から知覧へバスで移動。

ネットで時刻表を調べて9時20分発がちょうどいいと枕崎駅のバス停へ。

宿から駅までは徒歩10分なのに、女将が「送ります」とおっしゃるので好意に甘えました。

 

枕崎駅前のバス停に到着し、時刻表を見ると9時20分発がありません。

え、どうしよう…と戸惑っていると、バス停の向かいの観光案内所の女性が「どうしましたか」と駆け寄ってくれました。

 

バスの便数が減ってネットの対応が遅れているとのこと。次のバスは11時50分。バスを待つまでの過ごし方をアドバイスしてもらいました。

不安定な天気で雨が降るかもしれないからと傘を貸してくださるとのこと。「折り畳み傘があるので大丈夫です」と言うと「傘を濡らさないほうがいいでしょう」と、至れり尽くせりの観光案内所です。

  

人口減に悩む枕崎ですが、そんなに悲壮感もなく、みんなのんびり暮らしているようなイメージでした。よそ者だからそう感じられるのでしょうか。

 

東京は地方からどんどん人を吸い込んで人口減になりそうにありませんが、誰もが先を急ぎ疲れていて、気持ちのゆとりがありません。

 

高齢者ばかりでも、人にやさしくできるゆとりがある街なら、それでもいいと思いますが、そんなのんきなことを言っていられないほど日本の事態は深刻なのでしょう。

東京にいると実感できないことをリアルに感じた枕崎の旅でした。

 

どこよりも遠くに行きたいから、断食

人間にはさまざまな欲がありますが、旅行欲というものがあるのなら、このジャンルにおいて私は最も欲深い。時間ができれば、どこかに行きたいとばかり願ってきました。

 

今、一番行きたいのは南米。春まで勤めていた日本語学校には、はるばるチリやアルゼンチン、コロンビアからやって来た学生もいて、ヨーロッパ系とは一味違う個性を持っていました。

 

イグアスの滝とかマチュピチュといった有名なスポットが見たいわけではありません。美食も追求しないし、買い物もしません。現地の人々の日常生活を垣間見て、街の空気を感じてみたいだけです。

 

といっても、片道30時間の旅ですから、おいそれと出かけるわけにはいきません。

それに南米に行って、もっと遠くに行きたいとなったら、アフリカ? 南極? ついには宇宙旅行を望むようになるのでしょうか。

 

南米に行く前に、どこよりも遠いところに行くことにしました。

荻窪の友永ヨーガの通い断食です。

前回の参加は4年前の春。日本語教師養成講座に通っていた頃です。本当なら年に1回、断食で体をリセットするのが理想ですが、日本語教師として実際に教壇に立った3年間はそれどころじゃありませんでした。それに、1年目は心労から断食をしなくてもやせていきました。

 

この春から本業のライター業だけとなり、気楽な身分に。安逸な生活に流れ、ついアルコールを飲みすぎてしまいます。体も心も締まりがなくなってきました。ズンバを踊るのに体が重たいと腰と足に負担がかかります。

 

というわけで先週、4年ぶりに友永ヨーガの通い断食に参加しました。

 

同じ場所にいながら、どこよりも遠くに行けるのが断食です。

この飽食の時代、空腹を抱えて歩く東京の街はまったく違った光景に見えます。

 

bob0524.hatenablog.com

 

前回、空腹がつらくてそれが1週間も続くものですから「もうたくさん。二度とやらない」と思ったはずです。

それなのに、性懲りもなく二度目のチャレンジ。

 

二回目ということで、一回目よりは少し楽です。

バンコクでヴィッパサナー瞑想を体験した効果なのか、食べ物を目にしてもと自分を分離しできるようになりました。

 

荻窪駅から友永ヨーガ学園までの道は飲食店だらけ。

改札を出るとすぐ立ち食い蕎麦、そして階段を降りるとマクドナルド。朝ヨーガは7時からなので、朝マック250円が目に入ります。そしてミスター・ドーナツ。ポンデライオンが大好物です。青梅街道の曲道にはドトールミラノサンドの海老アボカドに心惹かれます。日本人なのにご飯よりパンが好きなのか、断食の時に最も食べたくなるのがサンドイッチです。

 

前回はこの道を通るのが苦行でした。

 

今回は、ちょっと楽です。一瞬、食べたいという欲が起こりますが「海老アボカドは海老アボカド、私は私」と切り離せます。タピオカティーを持って歩いている女性とすれ違っても「彼女は彼女、私は私」でやり過ごします。

 

断食期間が終わっても、バイキング形式のレストランで、自分の食べたい物を控えめに取る人になれるといいのですが。

 

残念だったのは友永淳子先生の不在。

5年前と違って、淳子先生は監修という形だったので、前回のように毎日レッスンを受けることはできないのはわかっていました。それでも一回ぐらいはお話がうかがえるかと思っていたのですが、なんとインドのリシケシで骨折というお知らせが貼ってありました。

 

最後のレッスンの土曜日、淳子先生が教室にいらっしゃってくださったのは、大きな驚きでした。指導はなさらず、リハビリの一環としてレッスンに参加されました。

 

淳子先生ほどカリスマ性にあふれた美しい女性に会ったことがありません。長年にわたるヨーガの研鑽だけでなく、友永ヨーガ学院を設立しここまで発展させたビジネス手腕の持ち主です。学院設立は1978年ですから、オウム真理教騒動があった時は、大変な打撃を受けたことでしょう。

 

前回の断食は淳子先生がいらっしゃったからこそ、最後までやり通せました。

電話連絡網では私がグループの最後だったので、毎晩、淳子先生に電話して直接お話できるという幸運に恵まれました。空腹でつらかったけれど、お昼の淳子先生のレッスンを受けると楽になりました。

 

そして、淳子先生ほどのお方でさえ、旅先で骨折するんだという衝撃。

これからもどんどん旅に出たいけれど、運動神経もなくバランスの悪い私は、高齢になると転びやすくなるでしょう。よくばったスケジュールは立てず自重して、自分の限界を受け入れることも必要だと悟りました。

 

1週間の通い断食は終わりましたが、断食より復食のプロセスのほうが重要です。ここでタガが外れると、一気にリバウンドしてしまいます。今日は、十倍がゆにみそ汁のうわずみ。明日は5倍がゆとなり、みそ汁もうわずみでなくなり、野菜を煮たものが食べられます。そして火曜日はこれに豆腐がプラス。

以前の食事量まで戻す期間は長ければ長いほどいいとされ、一生をかけて復食するように教わりました。食生活が乱れるのはしかたがないけれど、それでもう終わりと考えるのではなく、あきらめずに立て直すようにとも。

 

4年ぶり2回目の断食でしたが、願わくば自力で軌道修正できますように。できなければまた断食に通うしかありません。

 

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午の巻「干支で読む5」で猛獣使いと出会う

玉紀さんの講座、午の巻「干支で読む5」に参加しました。


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前夜の雨から打って変わって、真夏の太陽がぎらぎらと降り注ぎます。まさに午の巻にふさわしい。しかも時間は午前11時から午後1時。午の刻です。

 

この講座では、サンプルとして命式を公開して、どんな感じなのか本人が話します。なるほど、これはおもしろい。

玉紀さんもとてもいきいきしています。

四柱推命を習い始めて、最初は言葉を覚えるのに四苦八苦しましたが、だんだん仕組みがわかってくると、どんどんのめりこむ。あの感覚を思い出しました。

講座では、有名人の命式で実例研究したものですが、リアルな声に勝るものはありません。

 

私が今回の午の巻に出たのは、私の日干が戊午(つちのえうま)だから。

六十干支の中で強いとされているのが、悪名高い(ごめんなさい!)丙午(ひのえうま)。戊午もそれに匹敵すると言われています。

あと、丁巳(ひのとみ)、己巳(つちのとみ)。どれも火が強く、暑苦しい組み合わせです。

火の対極にある壬子(みずのえね)は大洪水で、癸亥(みずのとい)は豪雨。これも水が強すぎる。

この6つの干支が十二運では帝旺となり、動物占いではトラです。

 

先日、ラジオで『山月記』の英語バージョンを聞きました。

その中の一節。

Each of us is an animal trainer. We train the animal within us. That animal is who we really are.

(人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。)

 

私のことかと思い、びくっとしました。

 
bob0524.hatenablog.com

 

たしかに私は心の中にトラを飼っている。

 

同じ午族の丙午の人はどんなふうにトラを飼っているのか。それが知りたいというのがこの講座に出席した主な理由です。

丙午、しかも夏生まれ(午月)、巳年生まれという火のかたまりのような野中智世さん。いかにも野性味あふれるトラ。丙の持つ明るく開けっ広げなエネルギーが前面に出て、すごくまっすぐな生き方だと思いました。リアル猛獣です。

 

私は戊午だけど、冬生まれで水が強いこともあり、火を前面に出さず、暗黒時代の阪神タイガースのように猫を被っています。だけどトラの本性を隠し切れないから、タイガースだって時々は勝つし、私も型にはまらず思うように人生を生きる。

 

玉紀さん流に表現すると、丙が「いまを生きる」。燃え上がったことだけで満足してさっさと次のおもしろそうな対象に燃え移る。

戊は「これ、おもしろうそう!」と燃え上がるところまでは丙と同じですが、燃えカスに何か残っていないか探さないではいられません。

純真な丙からすると「策士」「欲深」に見えるでしょう。

 

私の隣に座ったのは、誕生年が10年違いで冬生まれの戊午の方。年の十二支だけが異なり、あとは並びが全く同じです。

「1番目にやりたいことがあったけれど、それでは食べていけないので2番目に好きなことを選んだ」

この方も猫をかぶったトラを飼っている。

 

詩とか書いてみたいけれど、とりあえずは注文がきた原稿を書く。そうやって30年近く働いてきました。

 

そろそろ引退したいけれど、持って生まれた性質はなかなか変えられません。おもしろそうなことがあれば燃え上がり、燃えカスの中に何があるか、探し続けることでしょう。

  

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バンコクのお寺で参拝者の靴の番をする猫。