翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

イエスと答えることで始まる物語

暇になったのをいいことに、ネットフリックスの映画やドラマをよく観ます。

ジム・キャリーの『イエスマン』。

 


イエスマン "YES"は人生のパスワード(字幕版) (予告編)

 

 離婚して落ち込んで、友達からの誘いにも「ノー」ばかりだった銀行員のカールが、イエスと言うようになり人生が変わるというストーリー。

そんなお気楽な話があるものかと思ったのですが、実話を元にした映画です。

 

新しいチャレンジもできるのは元気な証拠。

特に高齢者になると、「今さらこの年で…」とためらう気持ちが先に立って、ノーと言ってしまいがち。あるいは、頑固でいじけた老人になって、何を提案されてもノーと答えるかもしれません。

そうならないためにも、よほど嫌なこと、変なことじゃない限り、イエスと言いたいものです。

 

映画『イエスマン』で大いに共感したのは、spontaneous vacation(スポンテニアス・バケーション)。

自然発生の休暇といったところでしょうか。空港に行き、航空会社のカウンターで「一番早く乗れる飛行機の便」のチケットを買うというもの。

2008年公開の映画ですから、今ほどネット販売が普及しておらず、カウンターに並ぶ人も多かったのでしょう。

 

カールと恋人はネブラスカ州リンカーンに行くことになります。あまり旅行先には選ばれないところなんでしょう。「観光するところがある?」なんて心配そうな会話もありましたが、行けば行ったで旅を楽しみます。

 

JALの「どこかにマイル」も、スポンテニアス・バケーションのおもしろさがあります。行き先がどこに決まっても、楽しもうと決意して申し込みをクリックします。

もっとも、4つの候補地が気に入った組み合わせになるまでやり直すことができるので、完全に成り行き任せというわけではありません。冬は暖かいところ、夏は涼しいところに行きたいし、伊丹や関西空港が候補に出たら、その組み合わせはまず選びません。スポンテニアス・バケーションにするなら、腹をくくって最初に示された選択肢で申し込むのがいいかも。

 

スポンテニアス」という単語で思い出したのが、スザンヌ。カウチサーフィンの自己紹介で好きな言葉が「スポンテニアス」とあったのです。

彼女を東京でホストし、ヘルシンキでホストしてもらいました。

 

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ヨーロッパの人は、あまり年齢にこだわらず、フラットな人間関係を好む傾向があります。だから30歳近く年が離れているスザンヌと私も友達になれたわけです。

スザンヌはカウチサーフィンで初めて迎えたゲストです。フィンランド人と繋がりたかった私は、フィンランド人限定でカウチサーファーを募集していました。「私はフィンランド人じゃないけれど、フィンランドが好きで移住したドイツ人。ホストしてもらえますか?」というリクエストにイエスと答えたことから、カウチサーフィン、ホームステイの受け入れ、日本語教師という流れが始まりました。

 

次は何に「イエス」と答えることで、どんな物語が始まるでしょうか。

 

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幸せに慣れてしまう

この春まで3年間続けた日本語教師

非常勤なので教壇に立つのは月火水の3日間。25年以上フリーランスで働いてきて、日曜の夜の憂鬱とは無縁だったのに、この3年間は最悪の気分で日曜を過ごしていました。

月曜と火曜は「いやだ」と思う暇もなく、その日の授業分の添削と翌日の準備に追われます。火曜の夜、なんとか7時40分までに完了すれば、近所のスポーツクラブのズンバのレッスンに行けます。スタジオで「これは歓喜のダンス」と狂喜しながら踊りました。翌日の水曜の授業さえ終われば、学校に行かなくてもいい4日間が待っているのですから(たまに木曜とか金曜に代講を頼まれることもありましたが)。

 

日本語学校を辞めたらどんなに幸せになるだろう」と夢見たものです。ただ、見栄っ張りで承認欲求が強すぎる私は中途半端に学校を去ったら自己嫌悪に苦しむだろうから、辞めようとは思いませんでした。

 

築20年の自宅マンションのリノベを計画し、母を見送り、気が付いたら日本語教師歴も3年になろうとしていて、もういいんじゃないかと思ったのが1月。3月上旬に教師生活を卒業しました。その後、リノベのため3週間の放浪生活がありましたが、それも終わりました。

 

もう授業のプレッシャーはないし、家は広々として快適に。これ以上、何を望むことがあるでしょうか。

本業は続いていますが、昔ほど量が多くなく、時間に追われることもありません。

なんて幸せな毎日。ブラック企業に勤めている人に申し訳ないぐらいです。読みたかった本、観たかった映画やドラマを好きなだけ。アメリカでベストセラーになった『ヒルベリー・エレジー』、そして村上春樹の『騎士団長殺し』も一気に読めました。

 

朝、目覚めるために幸せを実感していたのですが、やはり慣れます。

不幸に慣れるのは時間がかかるのに、幸せにはすぐ慣れて当たり前のことになってしまいます。

 

対策として、生活になるべく変化をつけるようにしています。小さなことでもいいので、一日に何か一つ、新しい体験をすることを心がけています。

そして、元教え子が何か言ってきたら、力を貸すこと。この人生では十分すぎるぐらい与えられてきたので、これからは自分が与える立場にならなくては。元教え子に限らず、誰かのために何かをすることで、自分が豊かになります。

 

体重を増やさないように気を付けること。私は太ると運気(特に金運)が下がります。体重が危険水域まで上がったら、断食でもするしかありません。隣の駅のヨガ教室では定期的に通い断食の講座を主催しています。

 

  

断食をすると、幸せを感じるハードルが一気に下がります。ほんの一杯の薄いおかゆを口にするだけでどれだけ幸せを感じられることか。

そして、空腹だという感覚にとらわれて、世俗の悩みを忘れます。

 

幸せには簡単に慣れてしまうので、生活にできるだけ変化を取り入れて、幸せをかみしめていきたいものです。

 

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晴れて空気が澄んでいる日は、玄関先から富士山が見えます。のどかなヨーロッパの地方から来た外国人学生は「なんてすばらしい光景!」と大喜びしますが、私にとっては当たり前の風景です。

食と金が人生を左右する

ヒルビリー・エレジー』は、トランプ大統領を支持する地方の白人労働者を描いた本としてアメリカでベストセラーになりました。

日本人の私は運命論の書として興味深く読みました。

 

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悲惨な家庭環境で育ち、高校を中退しかけた若者が名門のロースクールへ進学し社会的成功を果たしたか。

スーパーマーケットのレジでアルバイトをした作者は、金持ちと貧乏人で購入する食料品が異なることに気づきました。

海兵隊での食生活はきわめて健康的で、13週間のブートキャンプで作者は18キロもやせました。ビリーズ・ブートキャンプがヒットしましたが、アメリカ人が軍隊生活でまずイメージするのはダイエットなのかも。

低所得者層ほど肥満するのは、この本を読んでよくわかりました。

朝は菓子パン、昼はマクドナルド、夜はタコベル。作者の祖母はなんでもフライにするし、ハムのサンドイッチにはポテトチップスを砕いてトッピング。海兵隊でのブートキャンプを終えた作者は、以前と同じように実家での食事を楽しむことができなくなりました。

 

そして、イェール大学を卒業する頃は、ますます実家の食生活からかけ離れて行きました。なにしろイェール大学のロースクールの学生の95%以上は中流かそれ以上の階層で、実際にはそのほとんどが富裕層なのですから。

 

作者が大学の友人とクラッカー・バレルというアメリカ南部の家庭料理のレストランチェーンに行った時のエピソード。

作者と祖母にとってクラッカーバレルは最高の料理を出すお気に入りレストランだったのに、友人たちからすれば健康を脅かす油っぽい料理に過ぎませんでした。

  

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 先月、横浜の元町中華街のイタリアンレストラン、ラ・ボエムで食べた「豆腐と12種類のヴィーガン・サラダ」900円。アメリカのエリートはおそらくこんな料理を好んで食べているのでは。

野菜の下に崩した豆腐が敷き詰められていて、これだけでかなりお腹いっぱいになり、メインの魚料理を食べて終了。パスタもピザも頼まずに済みました。

 

食生活と並んで重要なのがお金の管理。

海兵隊では健康や衛生だけでなく金銭管理についても必修の授業があります。

ブートキャンプを終えると毎月1500ドルの給料がもらえます。新兵は先輩の海兵隊員に連れられて銀行に行き、口座を開きます。

初めて車を買いに行く時も、上官が命じて年長の隊員が付き添います。

21%の利率でローンを組もうとする作者に対して、先輩は怒りだし、口座のある銀行に電話して相見積もりを取るように命じます。

経済的に破綻した薬物中毒の母と長く暮らした作者は、ローンを組めるだけだでラッキーだと思い、すぐに飛びつこうとし、ローンの利率を比較検討するなどという知識はまったくなかったのです。

 

貧乏だから情報弱者になり、お金持ちより割高で不利な契約を選んでしまい、ますます貧乏になってしまうという悪循環。自暴自棄になってアルコールや薬物に手を出し、職と健康を失い、最後は生活保護を受けて生きるしかなくなる。一つ間違えれば作者もそうした人生を歩むところだったという記述がいたるところに出てきます。

 

この本で最も感動的だったのは、作者も「自分が変わるという経験にかなり近い」というシーンです。

海兵隊の広報官としてイラクに派遣され(貧乏でも進学したいなら海兵隊に行けばいいといっても、生半可なことではなく、戦地で命を落とすリスクだってあるのです)、地域の学校で士官たちが関係者と面会しているあいだ、作者は子どもたちとサッカーをしたり、キャンディや学用品を配ります。

 

そんななか、とても引っ込み思案な男の子が、おずおずと近づいてきて手を差し出した。小さな消しゴムを渡すと、ぱっとうれしそうな顔になり、このたった2セントのプレゼントを意気揚々と掲げながら、家族のもとへ走っていった。あんなに興奮した子どもの顔は見たことがなかった。

世の中は不公平だとずっと不満を抱いていた作者が、自分は与える側の人間になれると意識が変わったのです。

母と父に対しても腹を立てていた。ほかの子たちが友だちと一緒に車で学校へ送ってもらっているのを尻目に、バスで通学していたことにも憤りを感じていた。

アバクロンビーの服を着られないことにもむかつき、祖父が死んだことにも怒っていた。小さな家に暮らしていることも恨めしかった。それまでの恨みつらみが一瞬にして消えてなくなったわけではないが、戦争に引き裂かれた国に暮らす子どもたちや、水が出ない学校や、あんなにささいなプレゼントに大喜びする男の子をそこで目にしたことで、自分がどれだけ幸運なのかを実感できるようになった。

 

まるで「受けるよりは与えるほうが幸いである」というイエス・キリストの言葉のようです。

 

ヒルビリー・エレジー』、もっと若い頃に読みたかった本ですが、人生の折り返し地点を過ぎた今の私にも、大きな学びがありました。

運命論の書として読む『ヒルビリー・エレジー』

無名の作家の回想録でありながら、ベストセラーになった『ヒルビリー・エレジー』。

 

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち

 

 作者は31歳でアメリカの白人男性。

名門イェール大学のロースクールを終了し、現在はシリコンバレーの投資会社の社長。きらびやかな経歴だけど、わざわざ一冊の本になって日本語にも翻訳されるほど特殊ではないはずです。

しかし、作者の出自であるヒルビリー、そして家庭環境について読み進めていくと、彼のキャリアは奇跡のようなものだと思い至ります。

 

アメリカン・ドリームということばもあるし、白人でしかも男性としてアメリカに生まれるのはかなりのアドバンテージのはず。ところが、「ヒルビリー」「レッド・ネック」「ホワイト・トラッシュ」と呼ばれる貧困層の白人家庭の生活は、日本人が一般にイメージする「アメリカの白人」のイメージとはかけ離れています。

これがマイノリティだったら「自分が社会的に成功できないのは人種のせい」と考えてまだ気楽に生きられるかも。白人なのに貧しいという現実がますます彼らをみじめにしているのかも。

いずれにせよ、丸太小屋で育った少年が大統領になるような単純な社会は完全に過去のものになったのでしょう。

 

登場人物紹介のページ。

作者の実の父親は母親の2番目の夫です。姉は最初の夫の子です。

そして養父は3番目の夫。それに続く母親の恋人が4人も名前を連ねています。しかも母親は情緒不安定で薬物中毒。新しい恋人ができるたびに生活が変わり、繰り返される痴話喧嘩。

12歳の時、母親が運転している車に乗っていると「車をぶつけて一緒に死ぬ」と言い出され、生き残る確率が高くなるだろうと後部座席に飛び移った息子。激怒して、車を止めて息子をぶちのめそうとする母親。車から逃げ出し、「助けて。母さんに殺される!」と見知らぬ家に助けを求めます。

警察が呼ばれ、母は家庭内暴力の罪で起訴されます。自分の証言によって母が刑務所に入る可能性があると告げられ、裁判で嘘をついて母をかばう息子。

学校は好きではなかったけれど、家に帰りたくなくて、学校の終業ベルが鳴るのがいやだったと書かれています。

 

作者を支えたのは、母の母である祖母。

成績不良で高校中退寸前の状態だったのが、ようやく安心して暮らせるようになったことで学校とアルバイトに集中するようになります。祖母は、自分の子育ての失敗を自覚し、孫を立派に育てようとしたのです。

近所のスーパーでレジ打ちのアルバイトをしたことも、有意義な社会勉強となります。ささいなことで店員をどなりつける客。インスタント食品ばかり大量に買う客もいれば、新鮮な野菜を買う客もいます。中にはフードスタンプで買った食品をディスカウントストアで売り払って現金に換え、アルコールや煙草を買う客も。

 

祖母との安定した暮らしのおかげで大学進学も視野に入りますが、申請書類を見て、大学に進むための学生ローンの金額を知り、迷いが生じます。「そこそこの家が一軒買えるぐらいの額」とあります。日本と同様、アメリカも高等教育費は高騰しているのでしょう。

 

そんな時、信頼できるいとこから海兵隊を進められます。いとこは女性ですが海兵隊の退役軍人です。海兵隊で4年間耐えられればGIビルにより、大学進学のために借金をしなくてもいいし、給料も出て貯金ができます。

 

貧しい若者にとっては、海兵隊の入隊が社会的階層を上がるための有力な手段ですが、訓練はきついだろうし、4年間の任期を全うするのは並大抵なことではないでしょう。最初の13週間のブート・キャンプで作者の小隊は83人から69人に減ったとあります。

 

作者が海兵隊で得たのは、経済的な自由だけではありません。

将来に対して希望が持てず、自分ではどうしようもないという無力感を脱し、「やればできる」と将来に希望が持てるようになったこと。

そうなれば、可能性がどんどん広がります。

オハイオ州立大学を1年11か月で最終週の成績で卒業し、イェール大学ロースクールへ。名門私立大学の卒業生が大半を占め、州立大学卒業生はほとんどいないという名門のロースクールに数万ドルの奨学金を得て進学します。

 

もしこれがフィクションだったら、「そんなうまくいく話なんてありえない」と思うでしょう。

彼の社会的成功の要因は、努力だけでなく、要所要所で適切な人物と出会ったことが大きいと思います。祖父母、勉強に興味を持たせてくれた教師、海兵隊を勧めたいとこ、海兵隊の教官、大学の教授、大学でできたガールフレンド…。

 

生年月日で占う命術では「同じ日に生まれたのに、運命が違うのはどうして?」という質問がよく出ます。四柱推命なら「時柱が2時間ごとだから」とも答えられますが、地球上には同じ時間に生を受けた人がたくさいるはずです。それぞれの運命が異なるのは、出会う人が異なるから。両親との相性によって幼年期の運命は左右されますし、『ヒルビリー・エレジー』の作者のケースのように、後の出会いで好転させていくこともできます。

 

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足利学校の入徳門。

知識を伝えるだけの学校の役割はもう終わったとしても、出会いを提供する場としての学校はいつまでも必要です。

ドイツ人と鼎泰豊

去年の教え子、ドイツ人のセリナから「東京にいる」とメールが来ました。

たしか今は大学生でバイオテクノロジーを専攻しているはず。両親と日本に観光旅行に来ているそうです。

「先生をびっくりさせようと思って学校に行ったのに、バケーション中なんですね。今、どこにいますか。いつ東京に戻りますか」とのこと。

 

この春まで教えていた日本語学校、私は辞めたつもりなんですが、とりあえず休職中ということになっています。雑誌の廃刊を休刊と言い替えるようなものですが、長期休暇が当たり前のドイツ人のセリナは休暇を取っていると思ったのでしょう。

 

セリナは両親と汐留のホテルに泊まっており、夕食に招待されました。

富裕層の子弟が多い学校でしたから、家族で日本旅行ということもよくあります。

 

学生の両親に会うとなると、英語の会話が不安でした。

「高い授業料を払っているのに、こんなにレベルの低い教師が教えているとは」と父兄にあきれられるんじゃないかと恐れていたのです。幸い、アメリカ人とイギリス人の学生は少ないため、ネイティブのスピードで一気に話しかけられることはめったにありません。それに学生は親の前で、おぼえたばかりの日本語で私と会話したがるため、日本語、学生の母語、英語の3か国語が混じる会話となり、なんとなく間が持ちます。

 

欧米の若者は、あっという間に大人になります。あどけない少女だったセリナでしたが、大学進学のために一人暮らしを始め、ぐっと大人っぽくなっていました。

 

セリナの両親が選んだレストランは汐留のディンタイフォン(鼎泰豊)。

台北の店には行ったことがありますが、東京の店はどこも長い行列。本場で食べればいいと、わざわざ行くことはないと敬遠していました。セリナの両親はホテルのコンシェルジェを通して予約したそうです。

セリナのお父さんは世界的な総合化学メーカーのエグゼクティブで、お母さんはレストランのシェフ。「台湾に行く予定がないから、東京でここの小籠包を食べてみたかった」とのことです。

 

「ここの店の名前は、中国の古典から取られたものです。その本は、ドイツ人の中国研究者によって翻訳されました」と私。

ウィルヘルム訳の『易経』はユングに大きな影響を及ぼし、「シンクロニシティ」の概念が生まれました。東洋の英知である易について、西洋人と語りたいといつも願っていたのです。

 

火風鼎(かふうてい)、地天泰(ちてんたい)、雷火豊(らいかほう)。易の六十四卦から、おめでたくて発展しそうな卦を3つ選んでつけた店名。その効果は抜群で、今や台湾だけでなく世界的なレストランチェーンに成長しています。

 

東京でドイツ人と台湾料理を食べながら易経に思いを馳せる。

この3年間、悩み苦しみながら日本語学校の教壇に立っていましたが、こういう形で報われるなんて感無量でした。

  

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 毎年、当たり前のように花見をしていますが、日本語を学ぶ外国人学生にとっては、花見は大きなあこがれです。春を前に帰国する学生たちは「次はきっと、桜の季節に日本に来ます」と言います。セリナはその言葉通り、春に再び来日できました。