翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

今も昔も、激しい雨が降る

 映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を観ました。財務省の公文書改ざん問題は『ペンタゴン・ペーパーズ』のステマなんじゃないかという冗談もありますが、今も昔も人間のやることには大差がないのでしょう。 

ワシントン・ポストがアメリカ国家の機密文書ペンタゴン・ペーパーズを公開してどうなるのか…そんなスリリングな展開も一瞬忘れてしまったのが、反戦運動が盛り上がるワシントンDCのシーンで挿入されたボブ・ディランの『激しい雨が降る』。

 

一瞬にして怒涛のような思いが頭に渦巻きました。

 

高校3年の春、ボブ・ディランに出会いました。

瀬戸内海沿岸の田舎町の閉塞感に辟易していた私は、「ここではないどこか」をいつも夢見ていました。お小遣いを貯めて街に一軒しかないレコード店で洋楽の曲を物色するのが一番の楽しみでした。

1978年にリリースされた『傑作 Masterpieces』。ボブ・ディランという名前は聞いたことがあるものの、どんな人かも知らずに、3枚組LPを買うのはかなりの冒険でした。

 

結果的に、この決断により私の人生は決まりました。

ボブ・ディランはかなりとっつきにくいアーティストですが『傑作』は菅野ヘッケル氏により、プロテスタントソング、ロック、ラブソング、ライブ、未発表曲とジャンル別に編集されていました。ディランの世界を段階的に理解でき、私はすっかり夢中になりました。

 

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最も影響を受けた曲は「激しい雨が降る」。

たたみかけるようなフレーズに圧倒され、言葉の持つ力を実感しました。

将来、言葉を使う仕事をしたいという方向性を決定した曲です。

 


Bob Dylan - A Hard Rain's A-Gonna Fall (Audio)

 

歌い出しのフレーズ。

Oh, where have you been, my blue-eyed son?
Oh, where have you been, my darling young one?

どこに行ってたの、私の青い目の息子。

どこに行ってたの、愛する若者。

 

そして青い目の息子は自分の体験について語るのですが、畳みかけるような英語のフレーズが続きます。

 

たとえば、聞いたもの。

I heard the sound of a thunder, it roared out a warnin',
Heard the roar of a wave that could drown the whole world,
Heard one hundred drummers whose hands were a-blazin',
Heard ten thousand whisperin' and nobody listenin',
Heard one person starve, I heard many people laughin',
Heard the song of a poet who died in the gutter,
Heard the sound of a clown who cried in the alley,
And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, it's a hard,
And it's a hard rain's a-gonna fall.

 

警告のように鳴り響く雷、

世界をおぼれさせるような波の音、

腕が燃えている100人のドラマー、

誰も聞かない1000人のつぶやき、

1人が飢え、多くの人の笑い声、

側溝にはまって死んだ詩人の歌、

路地裏で叫ぶ道化師の声、

そして、激しい、激しい、激しい、激しい

激しい雨が降る

 

教室で勉強する英語は死んだように退屈なのに、この英語は生きていると感じました。そして、生きた言葉を使う仕事をしたいと切実に望みました。

この時の思いに突き動かされて、その後の40年間を過ごしてきたようなものです。

 

そして、フィンランド人のヘンリク君から兵役について聞くたびに、「激しい雨」の冒頭のフレーズが頭の中を駆け巡っていました。

ヘンリク君は、私の息子じゃありませんが、まさに「青い目のdarling young one」です。40年前、高校生だった私は、このフレーズを現実のものとして実感するなんて想像もできませんでした。

 

前回の別れでは、一緒にいたヘンリク君のお母さんから「あなたとヘンリクは一生の友達なんだから」と促され、もう一生会えないだろうと、思い切ってハグして別れました。

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それが思いがけず再会。ヘルシンキと東京はそう遠くない、特に、ヘンリク君のような若者にとっては。

 

今回は、カジュアルに玄関先で別れました。

「3年前、東京に初めて来た時は、こんな大きな町で自分は何者でもないと圧倒された」とヘンリク君。もうそんな心細い思いはしていないでしょう。

もし次に会うことがあったとしたら、再びディランの「激しい雨が降る」が頭の中で鳴り響くことでしょう。

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 去年の春の瀬戸内海の旅。連日、雨が降り続き小さな漁村はすべて幻のように見えました。

電話が鳴ったらまず何をすべきか。 フィンランド軍隊の教え

二度目のヘンリク君の来日。

今回は、東京ビッグサイトで開催されたフィンランド発祥のスタートアップイベント「スラッシュ トウキョウ」のボランティアスタッフとして日本に来ました。

 

ヘンリク君の両親に会った時、お母さんが「スラッシュ」の話をして、ヘンリク君にぜひ関わるように勧めていました。

 

90年代のフィンランドは、ソ連邦の崩壊により経済的ダメージを受け、深刻な不況に陥りました。

アキ・カウリスマキが『浮き雲』で描いたのはこの時代で、同時に失業した夫婦の話です。

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その後、ノキアの台頭で経済は持ち直したものの、スマートフォンの台頭を予測できずに失墜。ノキアマイクロソフトの傘下に入った2013年9月、私はたまたまフィンランドを旅行中で、友人が勤める出版社を見学していました。

「こうなることは予測できていたけれど、まるでフィンランドが戦争に負けたような気分」という嘆きを聞きました。

 

ノキアの失敗の教訓から学び、フィンランドは国を挙げてベンチャー企業の育成に心血を注いでいます。

ヘンリク君のお父さんはノキア出身ですから、「経済状況がどんなに変化しても生き残るスキル」を息子に身に付けさせたいと願うのは当然でしょう。

 

「スラッシュ トウキョウ」にはフィンランドから多くのボランティアも参加しています。ヘンリク君はプレゼンテイターがスムーズに発表できる手助けをするスタッフです。国際的なイベントで経験を積み、人脈も広げることができたでしょう。

 

ヘンリク君からは前回に続き、今回もいろいろと学びました。

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フィンランド国民の義務である兵役の話が印象的でした。

重たい装備を背負って二日間かけての70キロ走行は、聞いているだけではらはらしました。

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男女平等の点で先進国のフィンランドですが、兵役は男子のみ。ヘンリク君のように高校を卒業してすぐに兵役を選ぶと、大学入学で男女に1年の差がつき、同級生の女子は1年下となります。

「それでも、1年遅れる価値はあった」とヘンリク君。

軍事的な訓練に加えて、戦略的な思考を徹底的に教え込まれたからだそうです。

 

「たとえば、電話が鳴ったとする。真っ先にすべきことはなんだと思う?」とヘンリク君。

うーん、わざわざ質問するからには、電話を取ることではなさそうです。

スマホだったら発信者が表示されるから、この電話に出るべきかどうか考えること?」と私。

「まあ、それも近いんだけど、正解は『紙とペンを用意する』。軍隊で電話が鳴ったら、それは指令だから正確に記録することが必要。電話に出て用件を聞いてからメモするための紙とペンを探すようじゃだめだ」

 

なるほど。常に起こりうる事態を想定し準備すること。

行き当たりばったりであたふたしてばかりいる私には耳の痛い教訓です。

兵役で学んだことは、ビジネスでも大いに役立つことでしょう。そして、兵役の体験を共有することでフィンランド人男子には強い絆が生まれるとヘンリク君は言います。

 

1年間の回り道のようでいて、学ぶべきことをしっかり学んだヘンリク君。

そうした経験を活かして、これからどんな道を選ぶのでしょうか。

 

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 ヘンリク君が大学に入って実家を離れるにあたり、家族がばらばらになる前の記念に両親はカリフォルニア旅行を計画したそうです。

アメリカと日本は太平洋を挟んだ隣国。日本側からの太平洋を感じたいと、ヘンリク君は裸足になって熱海の海に入っていました。

決めなくていい生活

新聞は高齢者の読むものになってしまったのでしょうが、習慣の力に支配されて宅配をやめられません。

ネットであらゆる情報が得られるとはいえ、ときどき、おもしろい記事に出会います。

3月31日(土曜日)の朝日新聞には「コンピュータに無作為に自分の行動を決めさせている」というアメリカ人男性が紹介されていました。

www.asahi.com

うわー、おもしろい! 出たところ勝負の人生。

参加するイベント、食事だけでなく、住む場所も世界中から無作為に選び、ドイツ、スロベニア、ドバイ、中国、タイ、香港など約20か国を転々としているそうです。

そういうことができるのも、コンピューターを学んでグーグルで働くというハイスペックな人物だからでしょうが、「決めなくていい生活」にあこがれます。

 

ホーキンス氏が「決めなくていい生活」を始めた理由。

この先の人生まで見えてしまうようで、落ち着かない気持ちになりました。自分のコントロールの及ばない場所に行くことで、新たな価値観に出会い、自分の枠を広げられると思ったのです。

仏教で出家するのは大変そうですが「朝起きてから寝るまで、何をやるか決められているから、体は大変でも心はものすごく楽」と聞いたことがあります。現代生活では、決めるべきことが多すぎて心のエネルギーを消耗しがちです。

ホーキンス氏も「リラックスできるようになった」と語っています。「アプリが自分の行動を決めてくれるので、自分はそれに従って動けばいい」から。

 

自分で全部決めると、「これでよかったのか」「もっといい選択肢があったのでは」という思いに苦しみます。受身の生活も案外悪くないかもしれません。 

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 行き先を確認してから電車に乗るものですが、JALの「どこかにマイル」みたいに、行き先がわからない旅もけっこう楽しいもの。

「こうでなければいけない」という思い込みを捨て、人生に起こることを柔軟に受け止めたいと思います。

この世に生きていること自体が、行き先のわからない電車に乗っているようなものだから。

グローバルエリートの家庭に生まれたら

人は平等であるべきだけど、現実には決して平等ではありません。

どこの国のどんな家にどんな能力を持って生まれるかで人生は大きく異なります。占いでいう先天運。そして、格差社会と呼ばれる日本ですが、本人の生き方によって変えられる部分(後天運)もあります。

 

フィンランド人のヘンリク君と再会して、持って生まれた運とそれを活かせる器について考えるようになりました。

 

前回のホームステイ時には、ヘンリク君の帰国に合わせて家族が来日。

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ヨーロッパのグローバルエリートの家庭を垣間見て「この両親にしてこの子あり」と思いました。

決して不満は言わず、ささいなことでも必ず感謝の言葉を口にする。観察眼が鋭くて、毎日学校で何があったかを聞くのが楽しみでした。「育ちがいい」とはこういうことなんでしょう。

 

ヘンリク君のお父さんもお母さんもMBA(経営学修士)ホルダーで国際的企業で働いています。

フィンランドみたいな小さな国は、海外との関係が最重要ですから、ヘンリクが『日本語を学びたい』と言い出した時から、できる限りのサポートを続けてきました。今回の日本留学もその一環です」とお母さん。

 

「私だって、ヘンリク君の両親みたいな親に育てられたら、もっとすばらしい人生になったかも」と想像したのですが、「両親の期待にこたえなくてはならない」というプレッシャーは生半可なものではないでしょう。優秀な素質を受け継いでいなかったら、悲劇です。

 

フィンランド人男性には徴兵制があり、ヘンリク君も1年間の兵役を終えました。

「思想的に軍隊に行きたくない人だっているんじゃないの?」と質問すると、希望者は図書館や介護施設なども選べるそうです。

それでも、フィンランドで一人前と認められるためには兵役を経験することが不可欠と言われていますから、エリート家庭の長男のヘンリク君が兵役を避けるわけにはいきません。

 

一番大変だった訓練は70キロの走行。重たい荷物を背負い、2日かけて歩きます。時期は10月。日本なら快適な季節ですが、フィンランドでは厳しい冬の始まりです。

「寒い森の中でテントもなにもなく、寝袋だけで冷たい地面で寝たんだよ。あれは本当にタフだった」とヘンリク君。

「体が弱い人は死んじゃうんじゃないの? そんなのやりたくないって拒否できないの?」

「途中で『もう無理だからやめる』と言ってもいい。でも、とにかく全員スタートしなくてはいけないんだ」

 

ヘンリク君の立場では、途中でギブアップなんてできません。70キロ走行を完遂できなかったなんてお母さんが知ったらどんなに失望するでしょう。

 

エリート家庭に生まれるのは恵まれているようでけっこう大変。

平凡でささやかな達成では評価されず、失敗が許されない重圧を常に抱える人生です。道を踏み外すと親への罪悪感につきまとわれます。

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熱海で泊まったのは共立メンテナンスのラビスタ伊豆山。リゾートマンションのような作りの2LDKです。ヘンリク君は畳の部屋に布団を敷いて寝ました。

備え付けの作務衣で温泉もレストランも行けます。

ヘンリク君のお母さんは、食事の時間を大切にしていて、自宅でも裸足やタンクトップで食卓につくことを許さないそうです。

「あなたのお母さんが知ったらなんて思うでしょうね」と言いながら作務衣で食事を楽しみました。

 

ヘンリク君がもたらしてくれた運

フィンランド人のヘンリク君が再び日本にやってきました。

3年前の夏、「3週間のホームステイを受け入れるなんてとても無理」と思っていたのに、なんとなく勢いだけで留学生のホストファミリーになりました。

 

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「学校はオタク・スチューデントばかりだよ」というヘンリク君の話をおもしろおかしく聞いたものです。その後、オタク相手に作文のクラスを担当することになるとは、夢にも思いませんでした。

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成田に午前9時半の便で到着し、成田エクスプレスで新宿へ。新宿まで来れば、3年前の通学路ですから、スムーズに我が家に到着しました。

大学に進学し、フィンランド国民の義務である兵役を終え、20歳を超えたヘンリク君はぐっと大人っぽくなっていました。

  

3年前と同じ、ハウスバーモントカレーを出しました。

「時間がたっているのに、すべてが同じで不思議な気分」とヘンリク君。

若者にとって3年間は長く、高齢者にとってはあっという間です。

 

ヘルシンキのヘンリク君の自宅から大学まで地下鉄で30分の距離なのに、半年前から親元を離れてルームメイトと大学の近くに住んでいるそうです。

「実家を出て、家事って手間がかかるとわかったよ。自炊はあまりしなくて外食が多いからそれは楽なんだけど、たとえば洗剤やトイレットペーパーの補充とか、やらなくてはいけない細かいことが多いよね」

ああ、そんなことを実感するまで成長したんだと、母親のように胸が熱くなりました。

 

「帰国子女レベルの英語力がないとむずかしい」と言われた日本語学校で教えるようになったのも、ヘンリク君との縁のおかげです。

実際に入ってみるとそこまでの英語力は必要ありませんでした。むしろ、英語のできない教師のほうが、学生はがんばって日本語を使おうとしてくれます。

しかし、「こんなに英語が下手な語学センスのない教師に日本語を教わるなんていやだ」と思われているでしょう。

 

東洋占術では「運は人によってもたらされる」と考えます。運を上げたければ、つきあう人を選べという身もふたもない処世術ですが、「ホームステイを受け入れる」という決断が私の人生を大きく変えました。

 

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 前回はヘンリク君の学校があって遠出ができなかったので、今回は熱海の1泊旅行へ。「新幹線で駅弁を食べる」という彼の夢の一つがかないました。