映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を観ました。財務省の公文書改ざん問題は『ペンタゴン・ペーパーズ』のステマなんじゃないかという冗談もありますが、今も昔も人間のやることには大差がないのでしょう。
ワシントン・ポストがアメリカ国家の機密文書ペンタゴン・ペーパーズを公開してどうなるのか…そんなスリリングな展開も一瞬忘れてしまったのが、反戦運動が盛り上がるワシントンDCのシーンで挿入されたボブ・ディランの『激しい雨が降る』。
一瞬にして怒涛のような思いが頭に渦巻きました。
高校3年の春、ボブ・ディランに出会いました。
瀬戸内海沿岸の田舎町の閉塞感に辟易していた私は、「ここではないどこか」をいつも夢見ていました。お小遣いを貯めて街に一軒しかないレコード店で洋楽の曲を物色するのが一番の楽しみでした。
1978年にリリースされた『傑作 Masterpieces』。ボブ・ディランという名前は聞いたことがあるものの、どんな人かも知らずに、3枚組LPを買うのはかなりの冒険でした。
結果的に、この決断により私の人生は決まりました。
ボブ・ディランはかなりとっつきにくいアーティストですが『傑作』は菅野ヘッケル氏により、プロテスタントソング、ロック、ラブソング、ライブ、未発表曲とジャンル別に編集されていました。ディランの世界を段階的に理解でき、私はすっかり夢中になりました。
最も影響を受けた曲は「激しい雨が降る」。
たたみかけるようなフレーズに圧倒され、言葉の持つ力を実感しました。
将来、言葉を使う仕事をしたいという方向性を決定した曲です。
Bob Dylan - A Hard Rain's A-Gonna Fall (Audio)
歌い出しのフレーズ。
Oh, where have you been, my blue-eyed son?
Oh, where have you been, my darling young one?
どこに行ってたの、私の青い目の息子。
どこに行ってたの、愛する若者。
そして青い目の息子は自分の体験について語るのですが、畳みかけるような英語のフレーズが続きます。
たとえば、聞いたもの。
I heard the sound of a thunder, it roared out a warnin',
Heard the roar of a wave that could drown the whole world,
Heard one hundred drummers whose hands were a-blazin',
Heard ten thousand whisperin' and nobody listenin',
Heard one person starve, I heard many people laughin',
Heard the song of a poet who died in the gutter,
Heard the sound of a clown who cried in the alley,
And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, it's a hard,
And it's a hard rain's a-gonna fall.
警告のように鳴り響く雷、
世界をおぼれさせるような波の音、
腕が燃えている100人のドラマー、
誰も聞かない1000人のつぶやき、
1人が飢え、多くの人の笑い声、
側溝にはまって死んだ詩人の歌、
路地裏で叫ぶ道化師の声、
そして、激しい、激しい、激しい、激しい
激しい雨が降る
教室で勉強する英語は死んだように退屈なのに、この英語は生きていると感じました。そして、生きた言葉を使う仕事をしたいと切実に望みました。
この時の思いに突き動かされて、その後の40年間を過ごしてきたようなものです。
そして、フィンランド人のヘンリク君から兵役について聞くたびに、「激しい雨」の冒頭のフレーズが頭の中を駆け巡っていました。
ヘンリク君は、私の息子じゃありませんが、まさに「青い目のdarling young one」です。40年前、高校生だった私は、このフレーズを現実のものとして実感するなんて想像もできませんでした。
前回の別れでは、一緒にいたヘンリク君のお母さんから「あなたとヘンリクは一生の友達なんだから」と促され、もう一生会えないだろうと、思い切ってハグして別れました。
それが思いがけず再会。ヘルシンキと東京はそう遠くない、特に、ヘンリク君のような若者にとっては。
今回は、カジュアルに玄関先で別れました。
「3年前、東京に初めて来た時は、こんな大きな町で自分は何者でもないと圧倒された」とヘンリク君。もうそんな心細い思いはしていないでしょう。
もし次に会うことがあったとしたら、再びディランの「激しい雨が降る」が頭の中で鳴り響くことでしょう。
去年の春の瀬戸内海の旅。連日、雨が降り続き小さな漁村はすべて幻のように見えました。