翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

草津おのぼりさん紀行

ラフカディオ・ハーンが出雲を「神々の国の首都」と呼んだなら、草津は「温泉の国の首都」でしょうか。

 

関東に住んで30年近くになるのに、草津に行ったことがありませんでした。

ようやく草津に行くことになりましたが、泊まるところに散々迷って一つに決められず一泊目は湯畑近くの素泊まり「佳乃や」、二泊目は共立メンテナンスの「木の葉」にしました。

 

草津に着くと圧倒されるのが観光客の多さです。

平日の午後でも長蛇の列ができていた湯もみショー。

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草津の源泉は熱いから板でかき回して適温まで下げます。

わざわざ並んで見るより、温泉を巡ったほうが楽しいかも。でも、草津のおのぼりさんとしては一見の価値ありました。

 

1泊目の佳乃やで迎えてくれたのは、流ちょうな日本語を話す外国人女性。

つい「日本語をどこで勉強されましたか」と質問しました。彼女の日本語は『みんなの日本語』50課まで終了したレベル。「勉強しましたか」ではなく敬語表現の「勉強されましたか」もマスターしているはずです。

 

パラグアイ女性はとてもうれしそうに自分が通った日本語学校について話してくれました。私の教え子もこんなふうに語ってくれるといいのですけれど。

 

外国人学生が温泉宿に泊まった話もよく聞くのですが、食事はあまり好評ではありません。たしかに見た目はきれいだけど、自分で選ぶことができず一方的に出されるスタイルがいやなようです。佳乃やは素泊まりで外国人スタッフもいて、館内の説明文も英文が併記されていました。 

 

佳乃やでは無料の簡単な朝食もあるのですが、翌日の朝食は「珈琲 綾」のキャベツサンドにしました。

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キャベツがとてもおいしかったので「嬬恋村のキャベツですか」と店の人に聞くと、六合村産とのこと。嬬恋村のキャベツは東京出荷用の大きなキャベツで、地元の人は六合村の小ぶりのキャベツを食べるそうです。

 

二泊目は草津の中心街からちょっと離れた「木の葉」。

共立メンテナンス草津の同じ敷地内で「木の葉」と「季の湯」の2タイプを展開しています。宿泊料金にはかなり差があるのは、「季の湯」は露天風呂付き客室だから。

共同の入浴施設が充実しているので、部屋付きの露天風呂はオーバースペックだと思い「木の葉」にしました。

たしかに共同の入浴施設はすばらしかったです。水風呂があるので交互浴ができますし、温泉ではない白湯もあり、入ってみると温泉の湯との差が実感できました。

 

湯上りに館内をぶらぶら歩いていると、同行者が「そっちに行っちゃだめ、そっちは貴族のスペースだから平民は入っちゃだめ」といいます。

そうか、平民「木の葉」の民なのに貴族「季の庭」に足を踏み入れたか。

 

「木の葉」の食事はセミバイキング。

バイキングはやっぱりあまり好きじゃないと思いました。旅先の食事は見た目も楽しみたいのに、自分で盛り付けると美しくありません。大皿に盛られた作り置きの料理を見るとげんなりします。

天ぷらなどその場で作る料理もありましたが、揚げたてを食べたいとがつがつするのもちょっと気が引けます。私は常にダイエット中なので、食べ放題は避けるべきでした。

 

しかも、夕食後に夜鳴きそば! ビールも飲み放題でした。

ここまで自堕落に食べるなんて、『千と千尋の神隠し』のお父さんとお母さんです。豚に変身させられないうちに東京に戻りました。

 

初の草津に興奮していろいろとやりすぎました。2回目からはもっと落ち着いて天下の名湯をゆっくりめ楽しみたいものです。

 

タロットカードで「死神」が出たら

縮小する一方の活字媒体で生き残るために、易や風水、九星気学などの東洋占術を学びました。女性誌が存続する限り、占いページはなくならないからです。活字の読者の高齢化が進む中、ニーズが高いのはロマンチックな西洋占術ではなく、実利を重んじる東洋占術だろうという読みもありました。そのおかげで、ライター業はなんとか続いています。

 

占術の修行のために横浜中華街の占いブースで対面鑑定もやりました。

自分には向いていないことがわかり、2年で廃業。

人を占うのは疲れますが、人に占ってもらうのは、大好きです。

 

副業として日本語を教えるかどうか、迷いが大きかったので、占いのお世話になりました。最終的な決断を下したのは、天海玉紀先生のインナーチャイルドカードのセッション。

 

bob0524.hatenablog.com

 

「妖精のゴッドマザー」のイメージは日本語学校の教室で常に私の心の中にあります。

 

日本語教師として教壇に立ったものの、失敗だらけで、何度もやめたいと思ったものです。最初の年はあまりの苦しさに一気に痩せました。ダイエットがうまくいかず、断食施設やヨーガ断食まで試したのに、それ以上に痩せて、高校時代の体重を下回りました。

 

日本語学校で教えるのが苦しくて、タロットカードで占ってもらったことがあります。

作文クラスのほかにオーソドックスな文法クラスも週に1日、教えているので、そちらのクラスを続けるかどうかが占的でした。月火水の週3勤務が週2になれば少しは楽になるはずです。

 

出たのは死神のカード。

 

 

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占い師は「やめるべき」と私に告げました。

「3年ぐらいは続けたい」と反論すると、「いったん勤め始めたら、すぐ辞めてはいけないと考えるのは古い価値観です」とまで言われました。

 

死神だから、辞める潮時。占い師として妥当な判断です。しかも客が「つらい」「やめたい」と連呼しているのだから、「やめてもいいですよ」とアドバイスするのが占い師の役割でしょう。

 

でも、私の心の中では猛烈な反感が巻き起こりました。

死神は「死と再生」。「死」だけをクローズアップせず、「再生」も読んでほしい。死神は冬の風景。すべてが刈り取られ、死に絶えたような畑の地下では春に向けての再生が始まっている。

写真の右側のハロウィーン・タロットでは、骸骨が畑の作物に水やりをしていて、再生のイメージが強く出ています。

 

教師として失敗だらけで学生からはクレームの嵐でも、どこかに希望の灯りがあるはず。それに、「うまく教えたい」というエゴを捨て、基本に忠実になることも必要かもしれない。

自分に都合のいい解釈ですが、私はそう信じたかったのです。

 

占いが当たっているか、外れたかを検証することは不可能です。タイムマシーンがない限り、異なる選択肢を選んだ結果を知ることはできませんから。

 

占い師のアドバイス通り、文法のクラスを辞めていれば、今の私はもっと幸せで満ち足りていたかもしれません。

でもあの時に沸き上がった「それは違う」という反発心に従ったことに後悔はありません。

作文のクラスで自由な教え方ができるのは、オーソドックスな文法積み上げ式の日本語教授法の経験があるから。そして、作文クラスで得たノウハウも文法クラスに応用できます。

 

 

「辞めるべき」とすっぱり占断してくれた占い師さんには感謝しています。どっちつかずの占断では迷いが深まるだけだったでしょう。

答えが提示されて、「その通り」「それは違う」という内なる声を聞くために占いは役に立ちます。

人生は暇つぶし

先週末は季節外れの台風襲来。

関東は日曜の夜から月曜朝にかけての台風上陸ということで、日本語学校の休校が決まりました。交通機関が乱れると、外国人学生は対応がむずかしいからでしょう。

 

いつも日曜日の夜は「明日から学校か…」と、どんよりした気分になるのに、降ってわいたような休日。

臨時休校でこんなにうれしい気持ちになるのなら、やめてしまえばどんなに楽になるか。

 

やめるのはそうむずかしいことではありません。非常勤だし、日本語学校は教師の出入りがけっこう激しい職場です。学生の数が変動するので教師のコマ数は保証されないし、安定して働く場所ではありません。日本語教師には外国好きの人も多く、海外の学校と日本の学校を行ったり来たりしている人もいます。

 

「人手不足だし、私がやめると学校が困るだろうから」と考えるのは独りよがりの思い上がりで、いきなり辞めるのでなければ、めいわくはかかりません。

 

二日酔いで教壇に立つのはまずいので、学校の前日はお酒を休んでいるのですが、休校になったので乾杯しました。

アルコールが回ってきて「のんびり暮らしたい」「プレッシャーのある生活はもういやだ」という気持ちに傾いていきます。

 

しかし、最大の問題は暇を持て余すこと。

 

先日、久々に本業で編集者と顔を合わせました。

ほとんどの原稿仕事はメール納品になり、連載がほとんどなので、打ち合わせをする必要もありませんが、年末年始の特集記事の依頼があったのです。

久しぶりに会った編集者と「出版業界、いつまでもつんでしょうかね」と昭和の炭鉱労働者のような会話を交わしました。電車の中で雑誌を読んでいる人なんてほとんどいないし、本屋さんの数も減る一方。「美容院がある限り、女性週刊誌の需要はある」という編集者もいましたが、最近の若い人はカットの最中もスマホを見ているのでは。

 

本業が先細りのところに、副業の日本語教師もやめたら、毎日、何をして暮らせばいいのでしょうか。

 

読みたい本もたくさんあるし、アマゾンのテレビスティックを買ったもののほとんど活用していません。旅行は費用がかかるからしょっちゅう行くわけにはいきませんが、夕方の早い時間から近所の銭湯のサウナに行くのは手軽な娯楽です。

 

それで日々が過ぎていくのなら、天国のような日々のように思えますが、そのうち飽きる可能性大。毎日が休日というのは本当に幸せなことでしょうか。

 

みうらじゅんの本に「人生には目標とか、目的とか、夢とかありますが、それはうまく暇をつぶすための方法です」という一節がありました。

 

さよなら私 (角川文庫)

さよなら私 (角川文庫)

 

  

「いいなぁ、あの人」と思える人は、暇を上手につぶしている人のことであって、決して成功者だと思い込んでいる人ではありません。

 

なるほど、そういうものかも。

だらだらゲームをして日の高いうちからビールでも飲んでいれば、あっという間に一日が終わります。暇はつぶせるけれど、上手なつぶし方とはいえません。

 

日本語学校の授業の準備に時間がかかって大変と愚痴をこぼしたくなりますが、いい暇つぶしを見つけたと思えばいいのです。

 

翌日、授業がある日曜から火曜日までの3日間は休酒して、水曜日の夕方、学校から帰って飲むお酒ののおいしさといったら。

 

生きることは苦であるとお釈迦様は悟られましたが、そう思ってかかるとたまの楽がとても貴重に感じるというプレシャス・プレイではないでしょうか。

親孝行プレイ」なる言葉を生み出したみうらじゅん。「プレシャス・プレイ」もおもしろい言葉です。

毎日酒を飲んでアルコール依存症になれば、お酒はおいしいどころか毒になります。プレシャスなお酒を飲むためにも、お払い箱になるま働き続けたいものです。

 

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小倉の旦過市場にある角打ちの店。「飲食は30分以内でお願い致します」。だらだら深酒せずさっさと切り上げるのが賢い飲み方なんでしょう。

日常の選択は少なめに、旅の選択は多めに

人生の折り返し地点をとうに過ぎたというのに、毎日、バタバタしてばかり。ゆとりのある生活はいつになったら実現できるのか。

 

気疲れする原因の一つは、選択すべきことが多すぎるから。いわゆる「選択による疲労(Decision Fatigue)」です。

 

私のメインの仕事は、女性誌の原稿を書くこと。長く続く連載では、テーマの選定まで一任されています。読者が興味を持ちそうで、読んだ後に少しでも役に立ったと思ってもらえるテーマはなにか。週刊誌には毎週一個のテーマを決めないといけません。

それに加えて副業の日本語教師。学生ごとにどんな切り口の課題を与えたらいいのかを考えるのもエネルギーを消耗します。

 

だから、日常生活の雑事はほぼルーティン化しています。

毎日のトイレ掃除、机とテーブル、玄関のたたきの水拭き、洗濯。朝起きたら何も考えずにやることにしています。

本当は料理もルーティン化したいのですが、食材には旬があるし、食べたいもの日によって変わるのでそうもいきません。

 

そして、洋服も制服化したいのですが、これも無理。

スティーブ・ジョブズマーク・ザッカーバーグがいつも同じ服を着ていても「さすが」と思われるでしょうが、女性の場合はなかなかそういうわけにもいかないのでは。

 

昔の日本の50代ならおばあさんのはずなのですが、今はそこまで割り切ることができません。デパートのどの売り場で洋服を買えばいいのか迷ってばかり。あと数年もして、どっと老け込めば、すっぱり割り切って洋服の数も減らせるのかもしれないと期待しています。

 

家事や洋服の選択は疲れますが、旅の計画を立てる時は、たくさんの選択に心が躍ります。

まず、目的地の選定。

JALの「どこかにマイル」だとJAL任せですが、4つの選択肢の組み合わせを自分で選ぶことができますし、飛行機を使わない距離なら、一から自分で選べます。

 

今月は草津に行くことにしました。

関東に暮らして30年近くになるのに、草津に一度も行ったことがありません。なぜか箱根や伊豆方面に足が向かっていました。

 

このあたりで天下の名湯・草津に行ってみよう。

そう決めてみたものの、選択すべきことが山積みです。

 

まず宿泊。ロケーションは湯畑の近くがいいのか。高級旅館か、リーズナブルな宿か。

一つに決められないので、二泊することにしました。一泊目は湯畑近くの朝食だけの宿。二泊目は二食付きの旅館です。

 

宿が決まったら、交通手段。

草津は東京からは在来線で行くにはちょっと遠く、新幹線も不便。特急に乗っても、バスに乗り換えなくてはいけません。

高速バスは安くて便利ですが、風情に欠けます。悩んだ挙句、行きを高速バス、帰りを特急にしました。行きと帰りの時間帯を決めたものの、高速バスの予約に出遅れたため、早割料金は満席でした。

一泊目は夕食がついていないので、どこで食べるかも決めなくてはいけません。

ネットを検索して情報を集めているだけであっという間に時間が過ぎてしまうのですが、こうした選択こそが旅の醍醐味だと思います。せっかく非日常の体験をするのですから、迷いつつも自分で選びたい。そして、日常生活のやるべきことはできるだけルーティン化して選択を少なくする。そうしてバランスを取りながら、年月を重ねていきたいものです。

 

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 JALの「どこかにマイル」、3回目の旅は北九州。

下関では、ちょっと入りにくい居酒屋「三枡」へ潜入。吉田類の酒場放浪記の情報がなければ、足を踏み入れることはなかったでしょう。

  

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 下関といえば、ふぐ。地元では濁点がない「ふく」と呼ぶようです。天ぷらでいただきました。店を取り仕切るおかみさんのお嬢さんは東京に嫁いだとのことで、去り際にたいそうご丁寧なあいさつをいただきました。

旅先で「どこで食べようか」と迷うのは楽しいもの。ご常連だらけのディープな居酒屋にぜひチャレンジしたいものです。

フィンランドの光と影

フィンランドが好き」というと、ゆるふわな森ガールのイメージですが、私はアキ・カウリスマキの映画でフィンランドにハマりました。

 

『浮き雲』という映画です。不況で夫婦そろって失業する話。登場人物は野暮ったくて口数が少なく、全体的なトーンは暗いのですが、くすっと笑えるシーンもある映画でした。

 

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フィンランド人とつながりたかったけど、フィンランド人はシャイで外国人となかなか打ち解けません。フィンランドの留学記を読むと、「1年以上過ぎてやっとフィンランド人と言葉を交わすようになった」という記述があり、若い人ならいいだろうけど、50代の私はそんな時間はないとため息をついたものです。

 

そこで始めたのがカウチサーフィン。日本を旅行するフィンランド人旅行者を自宅に泊めれば、いやでも仲良くなるだろうという下心があったからです。

カウチサーフィンの思わぬ副産物で日本語教師になりました。

 

bob0524.hatenablog.com

 

ここ数年、フィンランドに恋い焦がれるように生きてきたわけですが、日本を出てフィンランドに住みたいかというと、ちょっとためらってしまいます。

外から見る分にはあこがれの国ですが、実際に暮らすとなると、いろいろと大変そう。

特に病気になったとき。フィンランド人は「病院を予約しても、診察は何日も先になるので、軽い病気なら治ってしまう」と言います。

フィンランド在住の友人のブログを読むと、深刻な病気になったら大変そうです。

Visit Lakeus フィンランドの病院事情

 

絶賛されているフィンランドの教育にしても、「落ちこぼれを出さないという点では機能しているが、優秀な生徒には物足りない」と聞いたことがあります。

教育費が無料といっても、大学入試はかなりの難関です。大学はすべて国立ですから、誰でも入れるFランの私立大学なんてありません。

 

日本語学校で北欧の学生から「日本は大きな政府ですか、小さな政府ですか」と聞かれたことがあります。社会保障は手厚くないけれど、なんでも自己責任というわけでもありません。「どちらでもない」と答えると、「それはすばらしい、バランスが取れていますね」と学生。うーん、どちらも中途半端でうまく機能していない部分も多いし、少子高齢化が進むと日本自体が立ち行かなくなりそうです。

 

光あるところ必ず影がある。

フィンランドは遠くにありて思うもの。旅行なら、光の部分だけを見て、楽しく過ごせます。そして日本オタクの外国人学生も、数週間の留学なら、楽しかった思い出だけを胸に帰国していきます。

 

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一見、 ヘルシンキ大聖堂。下関駅前の結婚式場です。