翡翠輝子の招福日記

フリーランスで女性誌の原稿書き(主に東洋占術と開運記事)を担当し、リタイア生活へ移行中。2023年8月下旬からスペイン巡礼へ。ウラナイ8で活動しています。日本文芸社より『基礎からわかる易の完全独習』刊行。

還暦(60歳)で姥捨て山 part2

これを書いたのが3年前。

bob0524.hatenablog.com

 

優春翠と計画した遠野行きは頓挫してしまいました。

それでも時間だけは確実に過ぎ、還暦(60歳)を徐々にリアルなものに感じるようになってきました。

 

世間の流れでは、「60歳で高齢者なんて名乗られたら困る。年金支給も65歳では早すぎる」となりつつあります。還暦過ぎても老骨に鞭打って働かされるのと、姥捨て山に置き去りにされるのと、どっちが高齢者にやさしい社会なのかわかりません。欲が深いくせに面倒くさがりの私は、60歳で強制的に引退という潔さにも惹かれます。

 

仕事量は減ったとはいえ、占いという専門分野を持ったことで、雑誌ライターの仕事はコンスタントに続いています。

それに加えて、副業の日本語教師。準備にやたらと時間がかかり、授業では失敗続き。辞めたいと思うことが多いのですが、とりあえず続けています。

スポーツクラブでのスタジオレッスンは、週5日。ズンバをいつまで続けられるのか不安なのですが、「行かないと気持ちが悪い」というレベルまで習慣化しています。

こうして書き出してみると、高齢者のイメージとはほど遠く、まだまだいけるんじゃないかと錯覚しがちですが、時間の経過とともに確実に老化は忍び寄ってきます。

 

この3週間はトーマス君のホームステイを受け入れてかなり消耗しました。特別なことはしなかったのですが、朝は毎日6時起き。夜型人間の私にはけっこう大変でした。

それでも、複数の学生を相手にする日本語教師より、留学生のホストのほうが高齢者には向いているのかも。誰かを迎え入れることで家の中に新しい風が吹き、掃除モチベーションも上がります。今は年一度しか受け入れていませんが、外での仕事を辞めたら長期でホストファミリーになるのもいいかもしれません。

 

自分ではまだまだいけると思っていても、還暦が近くなると体力も知力も衰えます。

本来なら姥捨て山に行ってもおかしくない年齢だけど、下の世代の邪魔をしないように、自分のできる範囲で社会に貢献する。そんな気持ちで残りの人生を過ごしたいものです。

 

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昨年の晩夏に訪れた裏磐梯で乗った「森のくまさん」号。レトロなボンネットバスをメンテナンスしながら観光バスとして活用しています。

 

 

複数のわらじを履こう

 昨年の春から日本語教師の仕事を始めて1年3ヶ月が過ぎました。

四半世紀に及ぶ気ままなフリーランス稼業から、教師という職業への転身は無謀かもしれないと思ったのですが、日本語教師業界はかなり流動性が高く、1年も同じ学校に勤めていると中堅(!)になります。

 

非常勤講師が大半を占めるのも、需要が変動するから。

ここ数年は教師不足が続いていますが、2011年の東日本大震災直後は、留学生の帰国が相次ぎ、多くの日本人教師が職を失いました。2020年の東京オリンピックが終われば、留学生の数もかなり減るかもしれません。

ふつう教師というと勤続何十年というベテランが尊重されるものですが、そんな業界だったら私はすぐに逃げ出していたでしょう。

 

うまく授業を回すことができず、何度も投げ出したいと思いました。それでも続けられているのは、専業じゃないからです。授業に失敗して落ち込んでも、本業にも追われてあわただしく過ごしているうちに、あっという間に季節が巡り、気が付けば中堅となってしまったのです。

そして、日本語教師を続けるためには、授業のスキルと同じぐらい教師同士の人間関係も重要です。非常勤が多い職場ですから、教師が連携しないと立ち行かなくなります。対人スキルに乏しい私がなんとかやっていけたのも、ほぼ部外者のようなスタンスを貫いたから。

 

ヨーロッパの学校にいじめが少ないのは、授業は学校、スポーツは地域と分離しているからだと言われています。授業もクラブ活動も学校主体だと人間関係が固定して息が詰まります。

また、夫婦は共通の人間関係が少ないほうが円満だという説もあります。Facebookも夫婦でつながったりするとうっとうしくなります。

 

新卒で入った企業に定年まで勤めあげなくてはいけないと思うから過労死したりするのです。仕事先は複数確保しておくべき。フリーランスのライターで、編集部に囲われて「専属ライター」となる人もいたのですが、「せっかくフリーで働いているのに、なんて不自由な選択をするのだろう」と思ったものです。専属ライターになったら、興味のないテーマの記事も引き受けないといけないし、雑誌が休刊したらすべてを失います。

 

というわけで、確定申告では収入の内訳で10社ほどの出版社の支払調書を提出していたのですが、ここ数年の出版不況で、ライター業の収入は先細りしています。代わりに日本語学校からの給与所得が加わりました。なんとか複数のわらじを履きながら、段階的にリタイア生活へと逃げ切ることを目論んでいます。

 

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 複数の足を持つムカデのマーク。この不思議なビルは高知で見つけました。足袋の会社だそうです。

 

AI時代に働き続けるためには

50代半ばを過ぎて、職業生活のゴールが見えてきたはずなんですが、「一億総活躍社会」の掛け声により60代だけでなく70代になっても働かなくてはいけないのかもしれません。「ゆとりの老後」は、これからの日本では一部の特権階級だけに許される贅沢なのでしょう。

 

しかし、いくら「働け」と言われても、これからの時代、仕事はどんどんなくなっていきます。

 

私の本業であるライター業はそろそろ消えつつある仕事。雑誌という媒体自体が毎年縮小しています。

副業の日本語教師も、教科書通りのことしか教えないのなら、そのうちAIに取って代わられるでしょう。

 

このブログを読んで、これからの仕事について考えさせられました。 

reon5653desu.hatenablog.com

教師については、こんなことが書かれています。 

これからの教師に求められるのは生徒が楽しみながら学べる授業を展開できるとか、なかなか興味を持ちにくい科目でも生徒の興味をグワッと惹きつけられるとか、勉強に対してモチベーションが上がらない生徒をうまくサポートできるといった、より人間味があるとか、人の気持ちがわかるといったより人間らしい能力です。

 

まさにそうです。

日本語学校で作文のクラスを教えていると、「ひらがなをやっと覚えたのに、次はカタカナ! ひらがなだけでいいじゃん。漢字なんか絶対やりたくない」という学生に日本語を書かせるというアクロバティックな指導をしなくてはいけないこともあります。

日本で働きたいとか、日本語を使って仕事をしたいという動機があれば、学生のモチベーションも高いのでしょうけれど、私の働いている学校に来る学生は物見遊山を兼ねた短期留学生が大半です。

6週間1クールで一通りテーマを決めて教材を作っているものの、学生に合わせて少しずつ手直しする必要があり、いつまでたっても楽ができません。

 

先日、プライベートレッスンを担当しました。

通常のクラスは10人前後のグループレッスンですが、1対1のプライベートレッスンを希望する学生もいます。

30代のスイス人女性でした。10代後半の学生が多い学校なので、グループレッスンはあまり楽しくないのでしょう。そして世界一物価が高いと言われるスイスですから、プライベートレッスンの費用も割安に感じるのでしょう。

 

一通り自己紹介が終わったら、ピンポイントで知りたいことを質問してきました。

・ショッピングで、服を試着したい時はどう言えばいいか。

・レストランで会計したい時はどう言えばいいか。

・お寺と神社は何が違うのか。

・日本人はみんな忙しそうなのに、こんなに面倒くさい漢字をいちいち書いているのか。

最後の問いに対しては、タブレットを使ってローマ字入力を見せました。baraと打って薔薇という漢字が出しながら「漢字を書く練習よりも、漢字を読めるようになることが大切」と説明しました。

 

3時間のプライベートレッスンを持たせるのには、日本語教師養成講座で学んだ文法や教授法より、幅広い知識や対応力が必要だと痛感しました。

 

ボブ・ディランは「どんなことがあっても絶対に消えない仕事」は、"male prostitute, escort"だと言っていました。

「ジゴロ」「男娼」「ホスト」…AIにはできないような対人スキルが要求される仕事です。

bob0524.hatenablog.com

 

いつになったらやすらかなリタイア生活が実現するのか。

自分が仕事をやめる、やめないを決めるのではなく、社会からお声がかからなくなったらそれが引退のタイミング。そう考えて、四苦八苦しながら続けていくしかありません。

 

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この4月に訪れた呉の森田食堂。安くておいしいメニューがずらりと並び、地元のおばちゃん二人が切り盛りしていました。時代が変わっても、こんな食堂は生き残るでしょう。

うまい棒とプッチンプリンでおもてなし

我が家に滞在中のフィンランド人のトーマス君。

毎日YouTubeで日本のテレビを見ていただけあって、妙に日本通です。「フィンランドのテレビなんて全然おもしろくない。日本のテレビは最高。コマーシャルもすごい」と力説します。テレビをあまり見ず、レニングラードカウボーイズばかり見ていた私と足して2で割ると平均化するのでしょうか。

 

日本滞在を少しでも楽しんでほしいと、何が食べたいのか聞き出そうとしても、遠慮してなかなか好みを言いません。

ようやくプリンが好きだとわかったので、あれこれおいしそうなプリンを買ってデザートとして出していました。

一緒にコンビニに行き、「欲しいお菓子を選んで」とうながしたところ、「うまい棒がある! 一度食べてみたかった」と目を輝かせました。

うまい棒って、1本10円なんですけど。

お次はプリン。スイーツ売り場で「プッチンプリンだ!」とうれしそうに手に取ります。

なんて安上がりなんでしょう。

 

ホストファミリーは朝食と夕食を提供することになっています。凝った料理を作っても、果たして喜んでいるのかどうか、わかりません。何を出しても「おいしかったです。ごちそうさまでした」と礼儀正しく挨拶します。

レパートリーも尽きてきたので、オムライスを作ってみました。和洋折衷料理の代表だし、トーマス君はオタクだけどメイドカフェには行きそうにないタイプなので。

 

もちろん、オムライスのことも知っていました。「ケチャップで字や絵を書くんだよね」というので、「ここはメイドカフェじゃありません。自分で書きましょう」とケチャップを渡しました。

 

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カタカナは完璧に書けるようです。ひらがなもおぼつかないまま来日する学生が多い中、トーマス君は立派なものです。

 

ホームステイの学生を受け入れると、あれもしてあげよう、これもしてあげようとはりきります。そして、手をかけたり高いものを出せば喜んでもらえると考えがちです。

 

日本流のおもてなしは、相手の要望を聞くことなく、相手の気持ちを忖度してもてなすことだと言われますが、それって本当に喜ばれるのでしょうか。

日本人同士だって気持ちが通じないことがあるのに、訪日外国人へのおもてなしは、けっこう空振りに終わっているのかも。かといって、言われたことしかやらないというのも味気ないし、いちいちお伺いを立てるのも相手を気疲れさせます。

 

人口動態からみて、これから衰退の一途をたどっていきそうな日本。訪日外国人相手の観光ビジネスは数少ない成長分野ですが、おもてなしはけっこうむずかしいものだと痛感しています。

選択の幅を広げて、起こったことを受け入れる

老後の海外滞在を目論んで、日本語教師の資格を取りました。語学も学校も大嫌いだったはずなのに。

 

「資格さえ取っておけば」と思っていたのに、現場で経験を積まなければ資格は何の役にも立たないことを知り、意を決して日本語学校の非常勤講師に。

長めの旅行のために休もうと思えば代講を頼んで休むこともできるのですが、担当コマ数を増やすのをを断り続けているので、なかなか言い出しにくい。気がつけば2泊程度の国内旅行ばかり出かけるようになりました。

教室では外国人に囲まれ日本人が私一人という状況ですから、わざわざ海外に行こうという気もなくなりつつあります。海外旅行もおっくうなのですから、海外滞在なんてとんでもない…。

 

人生のビジョンとか、計画とか、あってもなくてもどっちでも同じということでしょうか。

 

宗教人類学者の上島啓司氏の『生きるチカラ』(集英社新書)を読んでいると、「人生なんでもあり」というおおらかな気持ちになります。

 

こんな話が紹介されています。

広告代理店のアートディレクターになりたいと願う女性。すぐに仕事が見つからないので、エアロビクススタジオでアルバイトをすることに。そこで偶然、靴メーカーの社員と知り合い、靴のデザインのプロジェクトにフリーランスで参加。手腕が認められ、正社員になるように誘われたけれど、断ってしまいます。

その後も、おもしろそうな仕事に就くチャンスがあったのに、広告代理店のアートディレクター以外の道を選ぶことができず、年月だけを重ね、今はキャリアの行き詰まりを感じています。

 

上島氏からのアドバイス

たしかに自分の望む進路は大切で、あくまでもそれにこだわる気持ちも理解できないわけではない。しかし、それは自分に訪れるあらゆるチャンスを妨げてしまうことでもあるということを、よく頭に入れなければならない。

 

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いったん決めたら、多少のことがあっても投げ出さないことが美徳とされていますが、そんなに一途にならなくてもいいのでは。

 

東京オリンピックまでは、日本語教師を続ける」「将来は沖縄で暮らす」と目標を立てているものの、達成できてもできなくても、どっちでもいい。夏は北海道で暮らしているかもしれないし、日本を巡る状況が変われば、日本語学校もどうなるかわかりません。6年前、東日本大震災が起きた年は、留学生たちが一気に帰国して休校状態に追い込まれた日本語学校もあったそうです。

 

再び上島氏からのアドバイス

自分を取り巻く状況はどんどん変化しつづけていく。それに従ってわれわれも変わっていく。それゆえ、自分が決めたことなどちっぽけなもので、そんなものはいつでも捨ててやるくらいの気持ちでいなければならない。

 

このあたり、日本語学校の学生たちから教師の私が学んでいます。

オタク趣味が高じてあこがれの日本にやってきた彼ら。日本語学校に通ってはいるものの、それを将来のキャリアに活かそうと考えている学生はどのくらいいるのやら。作文のテーマの一つに「将来の夢」があるのですが、「そんなの時期が来てみないとわかんないよ」と反応する学生が一定数います。

「ギャップイヤー」で日本に留学している学生たちの多くは、見聞を広めるために日本に来て、とりあえず日本語を学んでいるけれど、将来に活かそうとまでは考えていないようです。日本語学校なんか通わずに秋葉原に入り浸っていたかったけれど、親を納得させるために、とりあえず短期留学という形を取っているのかもしれません。

 

まあ、それでいいんじゃない、じゃあ、大好きなアニメの話でも日本語で書いてみる?とテーマを変えます。

国に帰って日本語の動詞の活用を忘れてしまっても、自分の大好きなことを大好きな国の言葉で書いたという記憶が残ればいいのですけど。そして願わくば「大好きなことをした」という記憶が、次の選択の幅を広げてほしいものです。